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八木亜希子と軽部真一が語る『めざましテレビ』30年…「トム・クルーズにハッピーバースデー」「ジャッキー・チェン通訳なし取材」一生の不覚は「きょうのわんこ」に大反対
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.07.28 06:00 最終更新日:2023.07.28 06:00
1994年4月1日に始まった『めざましテレビ』は、現在30周年イヤーを迎えている。1998年まで初代キャスターを務めたのは八木亜希子アナ(58)。一方、初回放送時、八木アナから “怪しげなテディベア” とイジられたのが、蝶ネクタイ姿で今も出演を続ける軽部真一アナ(60)だ。そんな2人のスペシャル対談!
軽部 八木さんとは久しぶり……ではないですね。最近、プライベートの会もあったので、短期間に3回ぐらい会ってるんですよ。
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八木 何年か空いちゃっても、すぐに昔と同じノリで話して。そういう意味では、親戚のような感じなんです。
軽部 僕は第1回から出演していますから、“親戚” だらけです。八木さんとは3つしか違わないけど、現在のキャスター、井上清華とは30歳以上差があります。でも、不思議と年齢差を感じません。みんな30代くらいで交代して、僕だけが年を重ねているんだけど……。きっと僕は、ネバーランドならぬ「めざましランド」に暮らす “永遠の少年” なんですよ。
八木 (冷ややかな表情を作って)少年って、自分を素敵に言いすぎでは……(笑)。
『めざましテレビ』は、当時朝の番組では他局に水をあけられていたフジテレビが、報道やバラエティ、スポーツなど各部署から精鋭を集め、肝いりで始めた番組だった。
八木 言い争いはしょっちゅうでしたね。今でこそ、情報番組でフロアの笑いが入ることは自然ですけど、当初は報道の人から「生放送中に笑うんじゃない!」と、反発があったこともありました。みなさん、こだわりとこだわりをぶつけ合っていましたね。
軽部 “モーニングハイ” “新番組ハイ” なテンションで、毎朝やっていました。
八木 遠慮する人は誰もいなくて、言いたいことを言える雰囲気でした。『めざましテレビ』では、女性キャスターはアシスタントではなく、大塚(範一)さんや軽部さんのキャラクターのおかげで、男性陣にツッコんだりしてもいいんだっていう空気がありましたよね。軽部さんには特に(笑)。
軽部 大塚さんと僕は、もちろん年齢も立場もタイプも違うんですけど、共通点は「イジられキャラ」。とにかく、お祭りのような雰囲気で始まった番組なんですよ。ニュース、スポーツ、エンタメ、生活情報などさまざまなコーナーがあり、それぞれ何時何分に放送されるのかが基本的に決まっている。それが、番組開始以来のコンセプトでした。
八木 「『きょうのわんこ』が始まった! 家出なきゃ」みたいに、学校や会社に行く人たちに時計代わりにしてほしいと。私たち制作側にも、15分刻みにお客さんが変わるイメージがありましたよね。
軽部 そうそう。だから5時台、6時台と同じニュースを繰り返すんです。そのなかで、長寿コーナーも生まれました。いま八木さんが言った「きょうのわんこ」は、初回から続いていますよね。あれ、でも八木さんは企画会議で強く反対してなかった?(笑)
八木 本当に一生の不覚ですね(笑)。「毎日、犬だけですか? 犬好きな人だけじゃないから、いろんな動物にしては?」って。カメとか……(笑)。それで、「今日の赤ちゃん」という代案を出したこともありました。
軽部 「今日の占いカウントダウン」も30年間、毎日欠かさず続けられてきましたね。
八木 はい、「占い」にも反対したんです(笑)。カウントダウンにすると、朝から気分が悪い人が出てきちゃうじゃないですか。それで、途中から最下位の方に「ごめんなさい」と言うようになったんです。短くてハマりやすかったのか、現在まで引き継いでもらっています。
軽部 僕はずっとエンタメコーナーを担当していますが、そもそものコンセプトは、「ワイドショー早出し」でした。その後に控えていた『おはよう!ナイスデイ』の内容を、先に見せるコーナーだったんですよ。だから、僕が初回で読み上げたのは「ロス疑惑」でした。
八木 音楽や映画、舞台など、エンタメをしっかり伝える「メディア見たもん勝ち」が始まったのは、番組開始から半年くらい経ってからでしたね。丁寧な映画の紹介や、音楽のミュージックビデオ初出しは、当時は新鮮でした。出演者みんなで、よく一緒に試写に行ったりしましたよね。
軽部 そこからはもう、ハリウッドスターのインタビューが始まっていくわけですよ。
八木 最初は、取材依頼に大物の方からOKをもらうと「出てくれるの?」と、みんなで驚いてましたね。香港返還を現地取材したとき、番組で縁ができたジャッ
キー・チェンが、珍しくウチの番組だけOKをくれたのに、通訳さんが出払っていて、私が拙い英語でインタビューしたんです。それがほかの報道番組でも使われて、すごく恥ずかしかった記憶が……(笑)。
軽部 当時は映画スターの来日が多くて、僕らもどんどん取材に行ってたよね。僕の初めてのインタビューは、スーザン・サランドン(1995年、『デッドマン・ウォーキング』でアカデミー主演女優賞)でした。もう、射すくめられるような眼光の鋭さで、怖いんですよ(笑)。突然「ところであなた、結婚は?」って、逆質問コーナータイムが始まっちゃって、タジタジでした。
八木 軽部さんは蝶ネクタイ効果もあって、いろんな人に覚えてもらってますよね。30年の積み重ねで、マライア・キャリーや、レオナルド・ディカプリオにも「また会いましたね」って言ってもらったり。
軽部 スーザンにその7、8年後に会ったときは、すっかり忘れられていて「ところであなた、結婚は?」と、まったく同じ質問をされたけどね(笑)。トム・クルーズには20回近く会ってるんじゃないかな。
八木 トムのお誕生日のお祝いをしたこともありましたね。ケーキを用意して、インタビューの前にスタッフも並んで「ハッピーバースデー」を歌ったの。今思えば本当に自己満足だけど(笑)。
軽部 トムとは同い年ということもあって、取材の際はいつも打ち解けていたんですよ。一度、トムの来日の間隔が少し空いたときかな。彼に「僕らはセイムエイジだよね」と言ったら、トムが真顔で「いやいや、違うでしょう」って言うんです。「忘れられちゃったのかな」って思うじゃないですか。そうしたらトムは一瞬間を置いて、「僕は7月生まれで、君は10月生まれだろ?」って言ってくれたんですよ。これには感激しちゃってね……。
八木 もしかしたら「軽部は絶対に『セイムエイジ』って言うから、こう返してくださいよ」って、スタッフがお願いしていたのかも。あのころのスタッフ、やりそう(笑)。
軽部 ちょっと! なんでそうやってドリームを壊すようなこと言うのよ(笑)。じつは、今月もトムにインタビューの予定だったのに、ハリウッドのストで来日中止になってしまったんです。ひと足先に61歳になった心境を聞いてみたかったんですけど……。
八木アナは1998年、夕方のニュース『FNNスーパーニュース』へ異動。2000年にはフリーとなった。現在は、いち視聴者として『めざましテレビ』を楽しんでいる。
八木 朝、テレビを点ければ「軽部さんどうしてるかな?」と見ちゃいますね。でも、私が出ていたときとは、スピード感が全然違いますよ。
軽部 番組を長く続けられているのは、変わるところと変わらないところで、うまくバランスを取れているということなんでしょうね。全部変えちゃうと別物になってしまうし、変えなかったら飽きられてしまう。象徴的なのが、番組のテーマソングかもしれません。
八木 1年ごとに変えているんですよね。曲が、番組の雰囲気や毎朝のリズムに与える影響って、けっこう大きいんです。最初のテーマソングはLINDBERGさんで、ハイテンションの「ヘイ!」っていうイントロを聞くと、番組立ち上げのころのモーニングハイを思い出します(笑)。
軽部 2年めもLINDBERGの別の曲で、その次が森高千里さんの『ララ サンシャイン』。なんか、番組が軌道に乗ったような感じになった、と当時は思いましたね。1997年に、本社が河田町(東京都新宿区)からお台場(港区)に移転したときの曲でもあります。
八木 最先端のトレンドをカバーして、コーナーや出演者もすごい勢いで変わってるんですけど、局のアナウンサーを中心にみんなでやっている「ファミリー感」みたいなものは常にありますよね。
軽部 やっぱり、『めざましテレビ』のキャスターになる人たちって、ある種の共通項があると思うんです。僕の持論なんですが、ある種「過剰な色気がない人」かもしれないですね。
八木 (笑)。朝から色っぽいと大変ですからね。
軽部 万人に愛される親しみやすいタイプの人が、キャスターになっているんですよね。そのイメージを作ったのが、「元祖めざましキャスター」の八木さんですよ。後輩たちの心の中には、それぞれの八木亜希子がいるんです。
八木 う~ん、いないと思うけどなあ(笑)。
八木アナは先日、ある視聴者に会う機会があった。彼女は八木アナを見たとたん、当時の辛かった浪人時代を思い出して涙ぐんでしまったという。視聴者の心の中にも、そんな「めざましキャスター」がいるはずだ。「国民的朝番組」は、今日も朝の元気を届けている。
やぎあきこ
1965年6月24日生まれ 神奈川県出身 1988年フジテレビ入社 2000年3月末に退社しフリーに。現在は『八木亜希子のおしゃべりミュージアム』(BSフジ)『八木亜希子LOVE&MELODY』(ニッポン放送)などを担当
かるべしんいち
1962年10月8日生まれ 東京都出身 1985年フジテレビ入社 2016年からは、1964年放送開始の音楽番組『MUSIC FAIR』の司会を、アナウンサーとして初めて務める