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尾野真千子 夢はいまだに“女優”になること「演技が上手、下手でいったら、私は下手」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.08.13 11:00 最終更新日:2023.08.13 11:27
沖縄・那覇空港から沖縄自動車道を利用しておよそ1時間30分。人気観光スポットの「沖縄美ら海水族館」まで約15kmの距離にある今帰仁村(なきじんそん)に、尾野真千子が営む「昭和居酒屋 北山食堂」がある。
濃い緑に囲まれたアーチをくぐると、なんともレトロな店が見えてきた。木製の引き戸の入り口前で、店のロゴが入ったTシャツ姿の尾野本人が出迎えてくれた。
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案内されて店内に入ると、想像以上の広さに驚く。シンプルなテーブル席の奥には座敷。ここで毎夜、ウチナンチュー(沖縄の人々)が泡盛を酌み交わしているのだ。
「今は沖縄で暮らしています。仕事があるときだけ東京に行くので、そのほかの日はお店で接客や調理をしているんです。調理といっても、主に『クレソンおにぎり』が私の担当ですけど。
ほかには『とりあえず』とオーダーされる、おつまみメニューくらいですね」
尾野が、この村と出会ったのは8年前のことだった。
「女優活動20年の節目で『家をつくる』をテーマにした自主制作映画を撮影することになり、舞台が沖縄だったので沖縄通いが始まりました。
スタッフさんたちとよくこちらでお食事をいただき、当時のオーナーさんとも親しくさせていただきました。
ゴーヤチャンプルーを食べたらものすごく美味しくて、ほかのお店の味では納得できなくなりました。それがきっかけで、沖縄文化にも興味を持ち始めたんです」
映画制作は順調に進んだ。尾野も慣れない大工仕事に汗を流した。
「地元の方々にご協力いただきながらトントンと釘打ちをしました(笑)。ここでは夕方の5時に役場の鐘が鳴るんですけど、それを聞くと皆さん、パタッと仕事を終えるんです。そして『俺たちは酒を飲むために仕事してるんだぁ』って。『この仕事をしたからお金を稼げた。この目的のために働いた』というシンプルな言葉に私も納得しました。大げさに言えば『生きること』を見せつけられた感じです。
だから、私も急いでシャワーを浴びて、ここ『北山食堂』での飲み会にご一緒させてもらったんです」
2021年、尾野は映画制作に協力してくれていた地元の方と結婚。ほどなくして「北山食堂」のオーナーが店を手放すことを知り、隣接する「今帰仁の宿 ハイビスカス」とともに、今年5月から夫婦で引き継ぐことになった。
「今帰仁村は時間もそうですが、いろいろなことがゆっくり流れています。それがすごく新鮮でした。
女優の仕事をしていると芸能界以外の方と会うことが少なくなりますが、今はお店でお客様と出会ってお話をするので『私、生きている』という実感があります。女優であることを忘れ、一人の “人間” として生きていられる感じかな。それはここに来なければ気づかなかったことだと思います」
■奈良の山奥からカンヌ女優に
夏の日差しに目を細める尾野に、女優になるきっかけが訪れたのは中学3年のときだった。通っていた中学校に、過疎の村で暮らす一家が離ればなれになって暮らす様子や気持ちの移ろいをつづった映画『萌の朱雀』(1997年)のロケハンで河瀨直美監督が訪れたのだ。
「私が学校の玄関の靴箱を掃除していたら、河瀨監督が『何してるの?』って。監督は私が掃除しているのをずっと見ていたのに(笑)。そして、『写真、撮らせてくれへん?』となって、ほぼその日のうちに『映画、撮るけど出る気ない?』と出演の話になりました。高校受験もあったので『親に相談します』と言いましたが、私自身はちょっと興味がありました」
話を聞いた大工の父親は答えを渋っていた。
河瀨監督は父親が働く現場まで赴き、映画の内容などを説明したという。