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爆笑問題が語る『ボキャブラ天国』秘話「審査員から客まで、全部に毒づいて、メチャクチャにしてやるって」

エンタメ・アイドル 投稿日:2023.09.15 06:00FLASH編集部

爆笑問題が語る『ボキャブラ天国』秘話「審査員から客まで、全部に毒づいて、メチャクチャにしてやるって」

「楽屋ではみんな仲よかったけど、『俺はここで売れる』と思ってた。スタジオでは戦ってたね」(太田)。写真は1997年撮影

 

 1992年10月に放送が始まった『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ系)は、やがて無名芸人たちがダジャレネタで競い合うスタイルに変貌。大ヒットし、1999年の8期まで続く人気番組となった。

 

 番組に出演する芸人は「キャブラー」と呼ばれ、2000年代以降を席巻するようになる。その代表的存在が、爆笑問題太田光(58)と田中裕二(58)だ。

 

 

「最初に企画を聞いたときは、おもしろいのかな? って半信半疑でしたよ。スタッフも、ここまでハネるとは思ってなかったはずでね」(田中)

 

 1993年に「NHK新人演芸大賞」を受賞し、キャブラーのなかでは実績のあった爆笑問題は、『ボキャ天』でも連勝を重ね、初代名人に輝く。

 

「漫才と違って、『ボキャブラ』のネタは田中が作ってた。ダジャレってのは、つまんないヤツが言うことなんですよ(笑)。だから、お前作れんじゃねえのって」(太田)

 

「そりゃないだろ! でも、たしかに『ボキャブラ』は俺だったね」(田中)

 

 社会風刺ネタを持ち味とする爆笑問題だが、『ボキャ天』で披露していたネタはこのようなものだった。

 

 バンドをやめることを告げる田中を、太田が引き止める。「俺たちいつも話してたじゃないか、武道館いっぱいにしようって→葡萄パンいっぱい食おうって」

 

 インドに向かえと刃物で脅すハイジャック犯の田中に、機長の太田は「目的はなんだ。金か?→カレーか?」

 

「ダジャレよりも、むしろそこまでの芝居が大事。それは稽古したね。俺たちが芸歴的にもいちばん上だったんで、とにかく負けるわけにはいかなかったから」(太田)

 

 当時、ネタ番組というものがほぼなかった東京の芸人たちにとって、『ボキャ天』は名刺代わりになった。

 

「“不発の核弾頭”ってキャッチコピーは、2人で考えたんだよね」(太田)

 

「“核”って言葉は、今ならOKとはならないだろうけどな」(田中)

 

「所属事務所のタイタンの名前も出るから、“芸人カタログ”としてはよくできた番組だった。みんなが、ここから売れなきゃ! っていう時期だったしね」(太田)

 

 前に出る芸人、引く芸人、それぞれの思惑があった。

 

「番組にいちばんハマったのはネプチューンだろうな。瞬間風速的には、松本ハウスのハウス加賀谷だね。あいつは冴えすぎちゃってて、すごいスピードでムチャクチャいいボケをしてたんですよ。こいつは天才だなって、あいつの後は出にくいって、感心してた。加賀谷があのときの冴え方でずーっといってたら、すごかっただろうなと今でも思うけどね。フォークダンスDE成子坂もめちゃくちゃおもしろかった」(太田)

 

 そんななか、太田が立てた戦略は“前へ、前へ”。

 

「ハズすことを恐れると、前に出られないわけですよ。ウケるコメントしか言わないようになんて思ってると、結局は何もできずに終わってしまう。審査員から客まで、全部に毒づいて、メチャクチャにするみたいな意識は、最初から持ってたね」(太田)

 

「俺は戦おうという意識とか、まったくなかったけどね。太田は『俺が“上”からガーガーやるから、お前はいちばん“下”の立ち位置で、みんなにツッコまれろ。上と下で挟むんだ』って言ってました。それで、スタジオを支配するんだと」(田中)

 

「こいつはプライドが高いから、後輩からツッコまれるのを嫌がったりするからさ。あえて言ったんですよ」(太田)

 

 太田の大暴れは番組名物となり、数々の逸話を残した。

 

「セットの上のほうにあったチャンピオン席からタモリさんの横に降りていくときに、階段落ちしたくなっちゃったんですよ(笑)。実際に落ちたらセットのベニヤ板に擦って、手のひらの皮がベロッと剥けちゃって。収録を止めるわけにいかないから、隠してそのまま続けましたよ。スタジオのゴミ箱をぶん投げたときには、キャブラーたちの衣装が弁当の食べ残しとかで汚れちゃって……あれはたしか、買い取らされたんじゃなかったかな」(太田)

 

 暴れまわる芸人たちを束ねていたのが、総合演出だった制作会社「ハウフルス」会長の菅原正豊さんだ。

 

「初めは視聴者のダジャレネタ投稿番組で、3年めの1994年、1時間枠になったときに、芸人を使ってやるようになったんです。ダジャレを映像にする作業は、大量の絵コンテを作る必要がありますが、芸人さんは自分でネタを作ってくれるし、つまらなかったら彼らのせいにできる(笑)。芸人を売り出すために始めたわけではなかったんですが、結果的に多くの芸人さんが育ったのは、嬉しいですよね」

 

 それが視聴者におおいにウケた。当時の番組ディレクターで、ハウフルス取締役の山田謙司さんが語るのは、芸人と制作陣の距離の近さだ。

 

「スタジオにいると、彼らがネタを持ってくるんですよ。『う~ん、ダメだなあ……。この後はなんかあるの?』『ないです』『じゃあ、残ってネタできたら持ってきてよ』。控え室で考えたネタをまた持ってくるんですよ。それもまたダメなんだけど(笑)、『ボキャ天』なら最下位の『カス』も、違う笑いに変えられたんです。逆に爆笑問題は決め打ちで、出す本数しか持ってこなかった。それが、みんなおもしろいんだよね」

 

 天下を獲ったキャブラーもいれば、話題になることがめっきり減ったキャブラーもいる。しかし、『ボキャ天』について語るときの熱量は変わらない。太田は最後にこう力を込めた。

 

「あのころは勢いがあったよね。まあ、俺はいまだに番組で暴れて、滑って頭打ったりしてるけどね(笑)。それは、もう変わんないですよ」

 

 照れくさくなったのか、太田は変顔をして「ハハハ!」と笑った。

 

ばくしょうもんだい
たなかゆうじ、おおたひかり 日本大学芸術学部在学中に出会い、1988年に結成。『サンデージャポン』(TBS系)ほか、MC番組多数。2022年よりYouTubeチャンネル「爆笑問題のコント テレビの話」を開始

( 週刊FLASH 2023年9月26日・10月3日合併号 )

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