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「4人の子だくさん」63歳・松永浩美 18歳下妻の流産&騒音トラブル乗り越え鹿児島移住でつかんだ幸せ
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.10.07 06:00 最終更新日:2023.10.07 06:00
「小学生の長男には、あと2年、気が変わらなかったら野球を始めてもいいと言っています。正直、同じ道を進んでほしくない。大変ですからね」
と語るのは、史上最強のスイッチヒッター・松永浩美氏だ。阪急ブレーブス、オリックス・ブレーブスで活躍し、その後阪神タイガース、福岡ダイエーホークスへと移籍。1998年の現役引退後も、野球への情熱は変わらず、野球塾を開講し、少年野球の指導に力を注ぐ。63歳となった今も、精力的に活動する松永氏の若さの秘密は、子供たちの存在だ。現役時代に一度結婚し、現在の妻・かおりさんと2010年に再婚、59歳にして4人めとなる次女をもうけている。
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「当初は年齢も離れていたし、付き合うことさえ考えていませんでした。ただ、当時私はパソコンを始めていたので、妻から教えてもらうことになり、徐々に仲を深めました」
交際を始めるにあたり、妻の両親のもとに挨拶へ向かったが、18歳の年の差に当然反対されると考えていた。
「でも、むしろ喜んでくれました。じつは、義父は野球ファンだったんです。義父は陸上をやっていたので、娘の相手は『自分より足が速く、身長は180cm以上』という条件があったそう。盗塁王も獲った僕はクリアです(笑)」
結婚後、子供のために、妻とはある約束を交わしていた。
「子供ができたら仕事を辞めてほしいと、妻にはっきりお願いしていました。今の時代、女性蔑視と言われるかもしれませんが、僕は、子供は母親のそばにいるのが安心すると考えています。ここまで立派に育ててくれた妻には、感謝しかありません」
まさに“昭和の男”だが、意外なことに家事や子育てには積極的だった。
「妻がつわりのとき、僕も気持ち悪くなったんです(笑)。妻の妊娠中、胃がムカムカするとか、肩が重いとか、似た症状が出て……。だから、なるべく食べやすいものを用意してあげました。今でも夫婦は“子供時間”が優先です。妻が子供を寝かしつけてそのまま寝てしまったら、僕がほかの子供の夕飯の用意をしますし、後片付けや掃除もします」
現役を引退した後だからこそイクメンになれたという。
「僕が現役のころは、球界の先輩に『赤ちゃんを抱くな』と、本気で言われました。野球に必要のない筋肉を使ってしまい悪影響が出るから、という理由です。今の選手は違うでしょうが、だからよく故障するんじゃないですか(笑)」
子育ての方針は、「きちんと怒る」ことだという。
「私が主催する野球塾でもそうですが、今の子供たちは『怒られたら終わりだ』という意識なんです。でも私は、怒られたうえで、子供たちが間違いを認め、自分でどうすべきか考えることが大切だと思っています。だから私はよく怒るし、怒ると長いです(笑)」
引退後の暮らしは、常に順風満帆というわけではない。不幸が重なり、家族が“どん底”を味わったのだ。
「長女を産んだ後、妻が流産を経験したんですよ。さらに、東京で暮らしていたマンションでトラブルが起きたんです。下の部屋の住人から『子供の声や足音がうるさい』と、何度も注意されたんです。妻はかなりナーバスになっていました。僕も手足が痺れる頸椎後縦靭帯骨化症になってしまい……。何もかもうまくいかず、生活をリセットしようと家族で話し合い、2018年に鹿児島に移住することを決めました」
鹿児島でゆったりとした時間を過ごすうちに、夫婦は精神的にも身体的にも、落ち着きを取り戻したという。
「鹿児島では引っ越してすぐに、ご近所に挨拶をしてまわりました。すると『子供の声なんて平気よ。耳が遠くて聞こえないから』って。皆さん、おおらかなんですよ」
かおりさんも元気を取り戻し、家族の笑い声は絶えない。
「僕はいつも子供たちに『ママはパパのものなんだよ。いつまでママを貸せばいいの?』と言っています。そしたら4歳の娘に『そんなに仲がよかったら結婚すればいいのに』と言われました(笑)」
見事、優しいパパに“スイッチ”だ!
まつながひろみ
1978年、阪急ブレーブスに入団。現在は、Office M&H代表、カミチクグループ軟式野球部GM。さらに、ドローンの普及活動にも力を入れており、東京ドローンスクール南九州校校長などを務める
取材&文・吉澤恵理(医療ジャーナリスト)