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BUCK-TICK 櫻井敦司さん死去…「魔王」と呼ばれた男の神対応エピソード「YOSHIKIの代わりに女性に謝罪」「氣志團の土下座を慰める」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.10.24 18:25 最終更新日:2023.10.24 18:34
BUCK-TICKのボーカル・櫻井敦司(さくらい・あつし)さんが、脳幹出血のため、10月19日に57歳で亡くなっていたことが、24日、バンドの公式サイトで発表された。
櫻井さんは、19日に開催された神奈川・KT Zepp Yokohamaでの公演中に体調不良に見舞われ、公演を中断。翌20日の公演を中止していた。
BUCK-TICKは、1987年にビデオ『バクチク現象 at LIVE INN』でメジャーデビュー。1988年にはシングル『JUST ONE MORE KISS』で第30回日本レコード大賞新人賞を獲得。
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櫻井さんはカリスマ的な魅力を放ち、その美しいヴィジュアルとともに「魔王」と称されていたことでも知られる。だが、人柄は非常に穏やかで礼儀正しく、音楽業界に数々の神対応エピソードを残してきた。
ヴィジュアル系アーティストの関連本を数々執筆し、プライベートでも交流していたライター・市川哲史氏は、ウェブ『リアルサウンド』でX JAPAN・YOSHIKI、櫻井さんと飲んだ日のことを回想。
YOSHIKIが、懇意の市川氏の頭に酒をかけ、市川氏がやりかえすと、付近にいた一般の女性客にもかかってしまったという。
すると櫻井さんが「ここは俺に任せてください」と、女性に「連れがご迷惑をおかけして、申し訳なかったです」と謝罪。だが、女性は「ふざけないでください。クリーニング代弁償してください!!」と激昂して櫻井さんは撃沈。
市川氏は《一撃で自尊心を折られ放心した魔王を、必死に慰め続けるYOSHIKIと私であった》と振り返っていた。
また、櫻井さんの息子は、2020年『破局』で第163回芥川賞を受賞した遠野遥さんだった。2人は文芸誌で対談し、「遠野先生」「櫻井さん」と呼び合い、お互いの創作活動に敬意を示していた。
いまから10年以上前の2012年9月22・23日、BUCK-TICK主催の野外イベント「BUCK-TICK FEST 2012 ON PARADE」が開催され、さまざまなアーティストらが参加した。
その際、氣志團・綾小路翔が、ステージ上で自分たちこそBUCK-TICKの後継者だと宣言。だが、メイキング映像を見ると、氣志團は楽屋に戻った途端、速攻でBUCK-TICKメンバーに土下座。そんななか、櫻井さんはいちばんに駆け寄って、綾小路たちをねぎらっていた。
そのイベントの最後、櫻井さんは「パレードは死ぬまで終わらない……いや、死んでも終わらない」とメッセージを残していた。
櫻井さんは天に召されたが、歌声は永遠に生き続けるのだ。
( SmartFLASH )