米男性誌『プレイボーイ』を創刊した実業家のヒュー・ヘフナー氏が9月27日、老衰のため亡くなった。91歳だった。
ヘフナー氏は1953年に『プレイボーイ』を創刊。創刊号ではマリリン・モンローのヌードを掲載し、大ヒットとなった。
息子のクーパー・ヘフナー氏は、「父は、メディアと文化のパイオニアとして、フリーセックスや公民権運動など最も重要な社会・文化運動に関する言論を牽引し、他に類をみない、衝撃的な人生を過ごしました」と声明を発表している。
ヘフナー氏は1926年生まれ。第二次世界大戦に出征し、イリノイ大学を卒業。その後、男性誌『エスクァイア』で記者として働いていた。プレイボーイ創刊にあたって資金8000ドルをかき集めたが、そのうち1000ドルを出したのは母親だったという。
プレイボーイは一躍大ブームとなり、雑誌のみならず映像分野まで進出、ヘフナー氏は一大帝国を築き上げた。
彼が建てたプレイボーイマンションでは、パジャマ姿のヘフナー氏が、性的接待をすると思われるバニーガール姿の女性と宴に興じる姿が、たびたび目撃されている。
英紙『ガーディアン』によれば、生前ヘフナー氏は1000人の女性と関係を持ったと豪語していたという。シカゴとロサンゼルスに豪邸を持ち、多くの雑誌契約モデルたちと一緒に住んでいた。
ヘフナー氏は3度結婚しているが、最後の結婚相手クリスタル・ハリスとの年齢差は60歳だった。
晩年ヘフナー氏と交際していたとされる、ケンドラ・ウィルキンソンは「彼は私の人生を変えました。彼が今の私を作ってくれたのです。彼と一緒に過ごせた時間について、とても感謝しきれません。亡くなって寂しいですが、彼は私の心の中に永遠に生き続けるでしょう」と語っている。
さらに、2007年に『プレイボーイ』に登場している、お騒がせセレブのキム・カーダシアンは「偉大なるヘフナー氏よ安らかに。プレイボーイの一員として活躍できたことを光栄に思います。親愛なるヘフ、亡くなって本当に寂しいわ」とツイッターで追悼している。
じつはヘフナー氏、1992年にすでに自身の墓を7万5000ドル(710万円)で購入していた。墓には「社会的な性の価値の変革にプラスの影響を与えた人物」という言葉が刻まれる予定だ。
そのヘフナー氏が眠る場所は、彼が成功するきっかけを作った20世紀最大の美女マリリン・モンローの隣。世界一のモテ男は、死してなお、美女の側を離れない。