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断酒に成功して紅白出演…亡くなった冠二郎さんが本誌に語っていた「アルコール依存」との戦い

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.01.11 15:39 最終更新日:2024.01.11 15:41

断酒に成功して紅白出演…亡くなった冠二郎さんが本誌に語っていた「アルコール依存」との戦い

 

 演歌歌手冠二郎さんが、1月1日に亡くなっていたことを、所属する日本コロムビアが11日に発表した。79歳だった。

 

 発表文では《体調不良のため長期療養中でございましたが 令和6年1月1日心不全のため埼玉県の病院にて逝去いたしました》と報告されている。

 

 冠さんの歌手人生は、病との戦いでもあった。若き日にアルコール依存になり、長く苦しんだことを、2020年7月に本誌に語っている。

 

 インタビュー冒頭、冠さんは「あのころは、まさにアルコール漬けの日々を送っていました。そのツケが、肝臓に回ってきたんです」と振り返る。

 

 

「デビューしたのは1967年です。最初の10年ほどヒット曲に恵まれず、いつも不安にさいなまれて酒に逃げていました。『朝起きたら、まず一杯』。そんな生活でした。

 

 地方のキャバレーで営業が入ったときも、ステージの横にはいつも酒を置いていたほどです。そして仕事が終われば、地元の後援会の方々と朝まで飲み歩いたんです。1977年に『旅の終りに』がヒットしたあとも、その生活は変わりませんでした。

 

 しかしやがて、体に異変が生じるようになりました。ものが二重に見えたり、ろれつが回らなくなったりしたんです。あげくは、マイクのボリュームを目いっぱい上げても声が通らないほど、肺活量が落ちてしまいました。

 

 そして、友人に突然『おい、目が黄色いぞ』と指摘されたんです。3日3晩、ろくにものを食べず飲み続けた、1984年10月10日のことでした。

 

 これは尋常ではないと病院に行くと、γ-GTPの数値が900を超えていました(男性の基準値は50以下)。全身に黄疸が出ていて、さらにお医者さんが驚いたのは、白目と黒目の境に緑色の線が出ていたことです。『生死に関わる状態だよ』といわれ、診断された結果は『急性アルコール性肝炎』でした」

 

 その後は服薬処置を受け、4カ月後には肝機能の数値が改善。黄疸も消えた。

 

「ですが、そうなってから間をおかずビールのミニ缶を買っていました。それからは少しずつ酒量が増えて、息切れも激しくなり、そして今度は『慢性肝炎』と診断されてしまったのです」

 

 その後、冠さんは「あること」をきっかけに、酒を断つことに成功した。

 

「忘れもしません、1989年12月7日でした。『NHK紅白歌合戦』の、出場者発表の日だったんです。いくつかヒット曲があったので期待していたのですが、落選でした。『半端な気持ちでは出場できないな』と覚悟を決め、酒はもちろん、ギャンブルもタバコもやめました」

 

 そして冠さんは1991年・1992年・1995年に、念願の『紅白歌合戦』出場を果たした。インタビューではさまざまな思いが心をよぎったのだろう。冠さんの声は震えていた。思い出を胸に天国に旅立っていった冠さんのご冥福をお祈りします。

( SmartFLASH )

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