エンタメ・アイドル
坂本冬美の『モゴモゴ交友録』三木たかしさんーー野球選手にたとえていうと、三木先生は王貞治さん!
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.03.09 06:00 最終更新日:2024.03.09 06:00
坂本冬美の代名詞となった『夜桜お七』を作ってくださった大恩人、作曲家の三木たかし先生と初めてお会いしたのは……ん!? あれ? いつだったかな? ちょっと待ってくださいね。
デビューのきっかけとなったNHKの『勝ち抜き歌謡天国』和歌山大会に出演されていた作詞・作曲家の先生は……市川昭介先生、中村泰士先生、宮川泰(ひろし)先生、岡千秋先生、たかたかし先生、それに師匠の猪俣公章先生だから、三木先生はいらっしゃらない。
ということは……内弟子時代? うん、そうかもしれない。だんだん、記憶がはっきりしてきました。
【関連記事:坂本冬美の『モゴモゴ交友録』徳光和夫さんーー涙もろくて下ネタ好きの名司会者のおじさま】
日本レコード大賞の時期、猪俣先生も三木先生も、TBSに足を運ぶ機会が多くなって……そう、そう。そのときに、お会いしたのが最初です。
そういえば何を思ったのか、猪俣先生が突然「一日だけ休みをやるから遊んで来い」と言い出したとき、東京ディズニーランドに連れて行ってくださったのが、三木先生のお弟子さんだったような気がします。たぶん、きっと、おそらく、モゴモゴモゴ。間違っていたらごめんなさい(苦笑)。
三木先生が、猪俣先生のお葬式の際、何度も何度も「そばに行け」と、わたしの背中を押してくださったのは、きっと猪俣先生から後を託されたという思いがあったからだろうと思います。
三木先生は猪俣先生を「猪ちゃん」、猪俣先生は年下だった三木先生をお名前の「たかし」と呼び合うほどの仲だったお2人ですが、歌唱指導に関しては、天と地ほどの差がありました。
「はい、そこは抑えて」とか、「そこはもっとグッとお腹に力を入れて」とか、「囁いて。囁いて。もっと囁いて」とか、フレーズごとに指導してくださるのが猪俣先生で、三木先生は、最初に歌全体のイメージから入ります。
『夜桜お七』のときに言われたのは「前半、満開の夜桜が静かで幻想的なイメージで、リズムが変わるところから桜吹雪、花びらが宙に舞うように激しく歌ってほしい」という、すごく丁寧で、とってもわかりやすい言葉でした。
それだけではありません。1番のテンポが変わった後の歌詞、「来ぬひとと」の部分は三木先生がお書きになった譜面どおりだと、すーっと歌うことになっていました。
でも、レコーディングの際、わたしの歌を聴いていた先生は、「『こ』の前に、ほんのちょっと、ゼロコンマ何秒か間を持たせることで粋な感じが出るし、ちょっと艶っぽくなるよ」とおっしゃって。耳で聴いて心で感じて、その場、その場で臨機応変に対応される、猪俣先生とはまた違うタイプの先生でした。
野球選手にたとえていうと、猪俣先生は長嶋茂雄さんタイプで、三木先生は王貞治さん。タイプはまるで違いますが、お2人とも才能の塊のような先生でした。
これは後になって、石川さゆりさんから伺った話ですが、『夜桜お七』が出来上がったとき、三木先生から電話をいただいて、受話器越しに『夜桜お七』をお聴きになったそうなんです。
で、さゆりさんが「先生、いい歌ね」と感想を言うと、三木先生は、すごく嬉しそうにされていたそうです。
わたしが聴く前に、さゆりさんが聴いていらしたというのは、なんとなく面映(おもは)ゆい感じもありますが、三木先生にとってはそれくらい自信の一曲だったんだと思います。
猪俣先生にいただいた『あばれ太鼓』も『祝い酒』も『火の国の女』も、『夜桜お七』と並ぶ大事な曲です。
でも、『紅白歌合戦』で9回も歌わせていただき、坂本冬美の代名詞といっても過言ではないのは、やっぱり三木先生からいただいた『夜桜お七』だと思っております。三木先生、これからも大切に歌わせていただきます。
写真・中村 功
取材&文・工藤 晋