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トム・ブラウン布川ひろき、30代で月収120円からの大逆転人生「分岐点は2018年!」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.03.31 11:00 最終更新日:2024.03.31 11:41

トム・ブラウン布川ひろき、30代で月収120円からの大逆転人生「分岐点は2018年!」

布川ひろき(トム・ブラウン)

 

 夕方前にもかかわらず、焼き鳥と酒を楽しもうと地元の人であふれている。JR荻窪駅の路地裏にある「鳥もと 本店」のいつもの光景だ。

 

 この店の奥で、バラエティ番組で奇天烈な漫才を見せるトム・ブラウンの布川ひろきが名物の「皮とピーマン串」を片手にビールを飲んでいた。

 

「昔は駅前にあり、常連さんばかりで、若かった僕には入りづらかったんです。なので、よく来るようになったのは、今の場所に移ってから。でも10年ほど通っています」

 

 

 焼き鳥やつまみが充実しているが、鳥もとの名物はなんといっても “大将” だ。

 

「来るたびに『ちゃんとやっているのか? 調子に乗るなよ』と叱られています。メディアに出させていただいて前みたいに叱ってくれる人が減ってきましたが、 “大将” は変わらず。なんなら前よりもヒドくなっています(笑)。親以外でそう言ってくれる人がいるのはありがたいです」

 

 北海道出身の布川が最初に憧れた芸人は、とんねるず。

 

「柔道や野球などいろいろなスポーツをやっていましたが、家ではテレビっ子。『とんねるずのみなさんのおかげです。』(1988~1997年、フジテレビ)は録画して何百回も見ていました」

 

 その後、大阪の若手芸人が出演していたバラエティ番組『吉本超合金』(1997~2000年、テレビ大阪)を見て芸人になろうと決意。高校卒業後、札幌よしもとのオーディションを受けた。

 

「当時はタカアンドトシさんがいたりと、かなり人気がありました。あと、錦鯉の長谷川(雅紀)さんもいて。今のおバカなイメージはなく、カッコよくておもしろかった。だから、今も長谷川さんに対してはリスペクト強めです」

 

 最初はピン芸人として活動。現在の相方で高校の柔道部の後輩であるみちおを誘ったが、断わられた。

 

「(みちおは)プロのスノーボーダーになりたいと専門学校に行きました。ただ、そのころからみちおは変わっていない。その学校でなぜか大喜利大会があってみちおは参加したんです。みんなが答えないなか、アイツだけは一人で10個くらい出して全部スベっていました。当時からハートは強かった。僕らの基本は、変わっていない気がします」

 

 2009年にみちおとトム・ブラウンを結成。売れるためにフリーになり、上京を決意した。

 

「札幌で売れてもう一回東京でも売れなければと考えたとき、最初から東京に行こうと考えました。東京では無名の芸人たちが活躍する、いわゆる地下ライブに出ていました」

 

 事務所に所属するも、活動の場はライブばかりで、暮らしていくことが大変だった。「芸人をやめようと思ったこともある」と言う。

 

「30歳まではまわりも応援してくれるんですが、30歳を超えると一気に空気が変わって……。特に印象的だったのは、30歳のときに人数あわせで行った合コン。僕の年齢を知って、女のコたちが明らかに “ヤバっ” て顔をしたんですよ。それでこの年齢まで売れない芸人はヤバいんだと思いました。当時は本当にお金がなく、ヒドいときは月収120円、年収6万円。これで30代ですから本当にヤバいですよ」

 

 普通なら生きていくこともままならないが、まわりには助けてくれる人もいた。

 

「コンビニでバイトをしていたのですが、そこの店長によくお金を借りていました。数万円借りては出勤ごとに500円を返すという、小学生のようなやり取りをしていて。でもちゃんと返す意思を見せているから貸してくれるんです。

 

 一応、テレビに出られるようになったときに返しに行ったら、『オマエが稼いだ金なんだから好きなことに使え』と言われちゃって。いまだに返済できていないんです。めちゃくちゃ感謝しています」

 

 そんな彼の人生が変わったのが、2018年の『M-1グランプリ』だ。ある人物を合体して最強の人物を作るという奇抜な “合体ネタ” を披露し、審査員や視聴者を驚かせた。

 

「ありがたいことにここで変わりました。でも、あの場に出られなくても、2018年は “分岐点” になる年だったんです」

 

 じつは、2018年のM-1の決勝に出られなかったら、芸人をやめようと決めていた。

 

「年齢的にも金銭的にも厳しくて。続けるのがかなりしんどかったんですよ。

 

 逆にやめると決めてからは気分がラクでした。最後だから、とすべてお笑いにかけることができて。予選がつらくなかったのはあの年くらいかも。受かったら嬉しいし、落ちたらやめられるんで」

 

 ただ、このときに披露したネタには自信があった。

 

「先輩のハマカーンの浜谷(健司)さんが、焼き肉に誘ってくれたんです。で、行くとみちおもいて。『あのネタはマジでいいよ。嬉しくなって2人とも呼んだんだ』と浜谷さんがほめてくれたんですよ。僕らがいいと思い、やっていたことは間違っていなかったんだと嬉しかった。自信になりました」

 

 M-1決勝の舞台でインパクトを残したトム・ブラウンは、バラエティ番組に出演するなど、地下ライブからテレビに活動の場を移していく。

 

「慣れないことだらけでしたが、スベっても笑ってくれる仲間がいて助かっています」

 

 その仲間とは、地下ライブを主戦場にしてきたときに切磋琢磨してきた芸人たち。

 

「現場で、三四郎さんやメイプル超合金さんらとご一緒するときは本当に頼もしかった。あの2組がテレビの世界にいたから、地下ライブにもおもしろいヤツがいるって思ってもらえた気がします。

 

 最近は、現場に行くとM-1チャンピオンのウエストランドや同じ事務所のヤーレンズなど、知っている顔ばかり。こんな世界になるなんて想像もしていなかったです」

 

 テレビの現場も楽しいが、布川はM-1チャンピオンへの夢をあきらめていない。2023年の敗者復活戦でも、これまでとは違う新たな奇抜なネタを披露し、話題を呼んだ。

 

「最近、頭で考えてネタを作っていたのですが、理屈で考えないことを最優先するように変えました。ありがたいことに反応がよくて反響はあったのですが、『何をしてんだ』と思った人が多かったのか点数がよくなくて。次は、理性が働かなくなり、点数を考える脳がなくなるネタをしたいです。あまり優勝とか興味なかったのですが、去年から優勝したいと思うようになりました」

 

 今年がラストイヤー。布川にとってM-1で優勝することは「漫才の免許をもらえるようなもの」だという。

 

「あそこで優勝すると漫才をやっていいよと認められる気がして。漫才をやり続けるために欲しいタイトルです」

 

 彼らは、5月から単独ライブツアーをおこなう。

 

「テレビでスベっても、ライブに出て反応がもらえたら気持ちが落ち着くんですよ。ネタはいつでも戻れる場所。これからもおもしろいと思ってもらえるようにネタをし続けたいです」

 

ぬのかわひろき
1984年1月28日生まれ 北海道出身 2004年からピン芸人として活動し、2009年に高校の後輩であるみちおとトム・ブラウンを結成。舞台を中心に活動。2018年『M-1グランプリ2018』(ABCテレビ)の決勝に進出し、 “合体漫才” で話題を集める。『道産人間オズブラウン』(札幌テレビ放送)、『有吉の壁』(日本テレビ系)などに出演。5月からは全国5カ所をまわる単独ライブ『たろう7』を開催する

 

【 鳥もと 本店 】
住所/東京都杉並区上荻1-4-3
営業時間/月〜金曜13:00~24:00、土曜12:00~23:30、日・祝日12:00~23:00
定休日/年中無休

 

写真・伊東武志

( 週刊FLASH 2024年4月9日号 )

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