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岡本真夜『TOMORROW』ヒットで味わった「世間のイメージとの大ギャップ」…50歳になって抱く「人生後半の目標」とは
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.04.29 06:00 最終更新日:2024.04.29 06:00
1995年5月発売のデビューシングル『TOMORROW』が、ドラマ『セカンド・チャンス』(TBS系)の主題歌に起用され、オリコン1位、200万枚のセールスを記録した。《涙の数だけ強くなれるよ》の衝撃から29年――。50歳になった彼女は、どんなふうに強くなったのだろうか? 素顔に迫る60分インタビューを敢行した。
――幼少期はピアニストを目指していたそうですね。
「小学3年生からピアノを習い始めて、それからずっと毎日、5~6時間、ピアノに向かうのが日課でした。将来、自分は絶対、ピアニストになると思っていました。今でもピアノがあると、何時間でも、誰かに止められるまで弾いていられます」
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――ドリカムの歌を聴いて、人生が変わった。
「高校1年生のとき、学校から帰宅してFMラジオの電源を入れたら、もう曲終わりのアウトロだったんですが、女性ボーカルのフェイクが聴こえてきて、それがあまりにもすばらしくて、鳥肌が立ちました。日本人であんなに歌が上手な人はなかなかいないと思って、衝撃を受けました。
その曲がDREAMS COME TRUEの『未来予想図II』だとわかったので、翌日、CDを買いにいって、歌詞カードを読みながら歌うようになったんです。
それまでクラシックばかり聴いていた私が、“歌もの” に目覚めて、竹内まりやさん、山下達郎さん、槇原敬之さん、チャゲ&飛鳥さん、久保田利伸さんとかを聴くようになりました。
毎日、ピアノの練習ばかりしてましたが、友達と週に2、3回、カラオケボックスに通うようになって、『ピアニストになりたい』という夢が、だんだんと『歌手になりたい』に変わっていきました」
――歌手になるために、何から始めたのでしょうか?
「自宅にあったシンセサイザーで打ち込みをしてオケを作って、ドリカムさん、今井美樹さん、中森明菜さんなどの歌を宅録して、コーラスも多重録音しました。
その録音を、オーディション雑誌に掲載されている音楽事務所にいくつか送ってみましたが、ぜんぜん引っかからなかったですね。それでも、知り合いをたどって紹介してもらった芸能事務所の方が私の声を気に入ってくださって、『高校を卒業したら東京に来ないか?』というお話をいただき、上京することになりました」
――自分で曲を作るようになったきっかけは?
「あるとき、事務所のスタッフに『曲を作ってみない?』って軽い感じで言われて、『作曲入門』的な本を買って、読んでみたら『コード進行が云々』って書いてあって。私、コードがよくわからなかったので、その本はすぐに閉じました(笑)。
鼻歌で思いついたメロディをカセットテープに録音して、パズルのように組み合わると、なんとなく曲になったので、スタッフに聴いてもらったら、『作れるね』って言ってもらえて。
だったら全部、自分で作っちゃおう! って。歌手志望が、シンガーソングライターに変わったみたいな感じです」
――初めて作った曲が『TOMORROW』?
「はっきりとは覚えていませんが、ほぼ同時期に3曲作ったんです。『TOMORROW』は、そのなかの1曲で、あとは『BLUE STAR』と『ハピハピ バースディ』でした。
――ヒットする感触はありましたか?
「まったくないです。スタッフも誰も思ってなかった(笑)。作ったときはミディアムバラードで、今みたいなテンポのある感じではなかったんです。ドラマの主題歌に決まって、ドラマのプロデューサーがアップテンポにしてくれということで、変更になりました」
――バラード曲をアップテンポの曲に。拒否反応はありませんでしたか?
「私、そのへんすごく頑固なので、自分が最初に作った完成形を1ミリでも崩されちゃうと、納得ができないんです。そもそも、作るのも歌うのもアップテンポの曲が苦手だし、バラードが好きだったから、バラード曲でデビューしたかったですし……。
ただ、アップにしたことでこの結果なので感謝しています。違和感は、10年以上ありましたけど(笑)。
『TOMORROW』以外の曲に関しても、生意気だったけど、レコード会社のプロデューサーによく反抗していました。歌詞の修正とかの話し合いを持っても、ずっと平行線でしたけど。最終的には私が負けましたが、負けた結果がこの結果(大ヒット)ですからね(笑)」
――レコーディングで覚えていることはありますか?
「私、ちょっと記憶が飛んでるんですけど、だいぶ後になって、ディレクターに言われたのが……。最初に作ったミディアムバラードの『TOMORROW』は、サビ頭じゃなかったんですね。Aメロからの曲だったのが、『ドラマの主題歌だからアップにしてくれ』『サビ頭にしてくれ』というオーダーだったらしいんですね。その『サビ頭』についても、納得せずに歌っていたって。複雑な気持ちのまま、歌っていたのかなと思います」
――たとえば、ライブではバラードで歌うとか、ありましたか?
「当時、何回かやりました。バラードアルバム『もう一度あの頃の空を…』に、アコースティックバージョンを収録していますけど、やっぱりアップテンポでヒットしたものなので、それを塗り替えるのは難しいと感じて、あきらめました(笑)」
――10年以上というのは長いですね。今はヒットした嬉しさのほうが上ですか?
「半々ですね(笑)。だから、3枚めのシングル『ALONE』をリリースできたのが嬉しかったんです。私の気持ちとしては、ここが私にとってのデビューです」
――ドラマを観て、自分の主題歌が流れたときは?
「不思議な感覚でした。涙をポロポロ落とした記憶があります。私は家庭環境が複雑で、祖父母が私を育ててくれて、大反対を押し切って上京してのデビューだったので。『よかった』という安心感だったのかもしれません」
――デビュー曲がいきなり大ヒットを記録しました。
「でも、他人事のような感覚でしたね。デビュー当時は顔出しをせず、メディアもプロモーションも半年ぐらいまったくしていませんでした。そんななかCDが発売されて、テレビで流れて、ラジオで流れて、という状況だったので、あまり実感が持てなくて。自分の曲なんだけど自分の曲じゃないみたいな感覚は、けっこう続いてました」
――ノンプロモーションは事務所の戦略だったのでしょうか?
「じつは私、ずっと表に出ない約束をしていたんです。歌手になりたかったけど、自分が歌った歌だけが世の中に出ていけばいい。自分が前に出るのではなく、歌が流れてくれたらもうそれだけで幸せで、自分はひっそり暮らしたいと思っていました。
でも、私はまだ21歳で、いろいろ言いくるめられて、テレビに出なければいけなくなりました。なるべくなら、ひっそりと暮らしたい。曲を作って、歌って、世の中に出す。それだけで十分。10代のころから今もそのスタンスは変わってないですね」
――デビュー当時、自分のスタンスを通すのは、難しかったのでは?
「自分のなかで葛藤しているだけなんですけどね」
――歌を歌ってきてよかったなと思うのは、どういうときですか?
「やっぱり、私の歌で人生が変わりましたって言ってくださる人がいたりとか、いろんなつらいことがあったけど、この曲で励まされて前向きになれましたとか、そういう言葉を聞くと、頑張ってきてよかったなって思います」
――では、自分が幸せだと思うのはどんなときですか?
「私は酒豪ではなくて、家ではいっさい飲まないんですけど、友人と飲むスパークリングワインの一口めが好きですね。至福のときです。それを目標に頑張っています。ふふふ(笑)」
――それは予想外でした。
「そんなイメージないですか? 私、実際の自分と世間さまが思ってるイメージがほんとに違いすぎて、けっこう悩んだ時期もあります」
――どんなふうに違ったのでしょうか?
「デビュー当時によく言われたのは、『お部屋がレースのカーテンで、紅茶を飲んでて、フランス映画を観てるイメージ』だと。すごく言われたんですけど、ぜんぶ違います(笑)。部屋にレースはないし、紅茶よりコーヒー、カフェオレ。
フランスは好きだけど、フランス映画よりもアメコミやマーベル作品のほうが好き。『トランスフォーマー』とかすごく好きです。息子としょっちゅう観に行っています。今はそういうイメージを気にしないようになりましたね」
――「折れたほうがラクだな」と思うことはありませんか?
「昔、ラジオのパーソナリティのお姉さんに言われたことが、いまだに “そうだな” って思うんです。『真夜ちゃんは100人が右に行くって言っても、自分が左だと思ったら左に行くタイプだよね』って言われて、そのとおりだなと、今も思っています」
――来年は30周年を迎えます。
「いろんな経験をして、いろんな人と関わってきて、嫌な思いもたくさんしてきたうえで、50歳になって、ここからが人生後半です。まずは自分がどう生きたいかを大事にして、他人軸で生きている自分をなるべくカットしようと思っています。
いろいろと環境の整備をしたので、ここからは楽しみがいっぱいですね。これからは、後悔しない生き方ができたらいいなと思っています」
おかもとまよ
1974年1月9日生まれ 高知県出身 1995年5月、シングル『TOMORROW』でデビュー。『FOREVER』、『Alone』などヒット曲を連発する。5月10日、Blues Alley Japan(東京・目黒)にてライブを開催する。