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『部屋とYシャツと私』平松愛理 8割が反対した“意味深”曲の誕生秘話…「30年後版」には手応えも
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.05.03 06:00 最終更新日:2024.05.03 13:06
デビューして35年、シンガーソングライターの平松愛理が、シングル『部屋とYシャツと私』をリリースしたのは1992年、28歳のとき。ウェディング・ソングの定番として歌い継がれている名曲の誕生秘話を語る60分インタビュー。
「曲をリリースする2年前に、親友が結婚することになって、『一曲歌って』とリクエストされたので、『だったら作るよ』と言ってしまったんです(笑)。担当ディレクターからは、ずっと『女性版の“関白宣言”を書いてよ』と、言われていたんですね。でも、さださんの曲は、愛の深さ、人の強さと弱さみたいなものがユーモラスに、ストレートにガツンとくる構成で、完璧。その女性版って言われても、私、結婚したことないし、書けないと思っていたんです。
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ですが、ずっと頭の片隅でそのことを意識はしていたんですね。親友の結婚式はいい機会だから作ってみようと思ったんです。最初、参考にしたのは、ちあきなおみさんの『4つのお願い』でした。お願いするたびに、ちょっとかわいらしい感じに受け止めてもらえるような女性像だなぁとあらためて聴いて思いました」
――曲を作るために、リサーチを始めたそうですね。歌詞の1番が両親、2番がディレクターのエピソードなのだとか?
「母に『結婚したときに、何か困ったことはなかった?』って訊いたら、『まだ新婚だったころに、父が泥酔して結婚したことを忘れてしまい、新居ではなく実家に帰っちゃったっていう事件があって。それがめちゃくちゃ悲しかった』という話を聞いて、おもしろいなと思ったんです。そこから、お酒好きの旦那さんが、今日もまた遅くなっちゃった、妻が怒っていて家帰るの怖いなっていうときに、《恐れて実家に帰らないで》というストーリーにしました。
2番は、ディレクターが『嘘つくと瞬きが多くなるんだよね』と言ってたんですね。歌詞に『瞬き』という言葉を入れると聞き取りにくかったので、顔のパーツのどこにしよう?と考えて、《あなたは嘘つくとき 右の眉が上がる》にしました。毎日、作っては直しを繰り返して、完成するまで2カ月ほどかかりました。まだできない、まだできない、って感じでしたね」
――結婚式で曲を披露したとき、男女で反応がまったく違ったそうですね
「そうなんです。《毒入りスープで一緒にいこう》のくだりで、新婦側は笑いとして“どん”とウケたんですけど、新郎側は、グッと引きました。歌っている私はびっくりして、演奏を間違えそうになりました。『なんで引くんだろう?』って。結婚してこれから仲睦まじくやっていこうというスタートの日に、そのぐらい言っても“笑い”として受け取ってもらえると思っていたので」
――3枚目のアルバム『MY DEAR』(1990年12月15日発売。1992年にシングルカット)にこの曲を収録するかどうかで、意見が別れたそうですね
「スタッフの8割が、『平松らしくない』という理由でレコーディングに反対してたんですね。1枚め、2枚めのアルバムと比較すると、たしかに『部屋とYシャツと私』は言葉が強いかなと、私も思いました。タイトルも変わっているし。でも、2割の人が『平松らしい』と言ってくれて、ディレクターも賛成してくれたので、レコーディングできました」
――この曲のタイトルはどうやって決まったのでしょうか?
「“結婚する時に変わるもの”を意識しました。結婚前の女性は、実家にいる人も多いのでしょうが、お父さんや男兄弟のYシャツを洗うことは少ないですよね。それが、結婚したら旦那さんのYシャツを洗うようになるっていう。部屋が引っ越しで変わり、洗濯ものが変わり、そして、自分の苗字が変わるというタイトルです」
――曲が完成したときのヒットする感覚はありましたか? 「これは代表曲になる」というような……。
「ないです。全然、ヒットするとは思ってませんでした。スタッフに反対されながらも、なんとかアルバムに収録することになったので、レコーディング後はもう二度と歌うことはないんだろうなと思っていました」
――デビュー30周年のタイミングの2019年に、続編『部屋とYシャツと私~あれから~』をリリースします。
「テーマにしたのは、“30年経って変わるもの、変わらないもの”です。変わっていくものは、考え方、習慣、電化製品とか。変わらないものは人の癖ですよね。だから、30年経っても、《嘘つくとき 右の眉が上がる》人は、一生上がる。このバランスを取るのがものすごく難しかった。新曲を書いたほうが楽だったかなと、途中で思ったりしました」
――歌詞を作る上でいちばん苦労したところは?
「《あなた浮気したら 私は子供を守るから》《特製スープでひとりで逝って》ですね。30年前は《一緒にいこう》だったのに、我ながらここまで言っちゃっていいのかなと(笑)。それから、《食べたらきちんと洗って お皿と私の機嫌をなおして》。新婚当時は、奥さんはご主人が帰ってくるのが待ち遠しくて、遅くなっても帰ってくるだけで嬉しかったのが、今はせっかくキレイにした台所なんだから、自分で洗ってね、と。もう本当にたくさんの人を取材して歌詞にしましたからね。
ずっと名前で呼ばれていたのに、子供ができたら急に“ママ”って呼ばれるようになったり、”お母さん”って呼ばれるようになったり、いろんな変化がありますよね。でも、変えないところは変えない。詩を書き終えたときは、これ以上は無理、無理って思いました(笑)」
――完成したときの手応えは?
「言いたいことはここで全部言えたかな。結婚して、苗字が変わって、子供ができて、家庭を築いて、家族になっていく。そして最後までその旦那さんのことを“愛しい人”と思う。そんな人間愛まで描ききった“究極のラブソング”にしたかった。それができたかなと思います」
――どんなときに音楽をやってきてよかったと感じますか?
「最近思ったんですけど、自分が好きなことをやってきて、形(CD)に残せるのは、本当にすばらしいことだなと思いました。恵まれていますね。あと、『ラジオで聴いたよ』と言われると、ラジオってかけてくださるミキサーさんがいて、案内してくれるDJさんがいて、多くの手間がかかって、ラジオを聴く人に届くわけじゃないですか。それが、すごく尊い気がして。たとえばタクシーの車内とかで『たまたま聴いた』って言われたとき、どれだけの手を通ってその音楽が届いているのかを思うと嬉しくて、音楽をやっていてよかったと思いますね」
――最後に、読んでる人に伝えたいメッセージを。
「変わるもの、変わらないものって、すごくあると思うんですけど、自分の中のこれだけは変えたくないと思うことは、やっぱり“継続は力なり”なので、続けていってほしいなと思います」
ひらまつえり
1964年生まれ 兵庫県出身 1989年、シングル『青春のアルバム」でデビュー。1992年、『部屋とYシャツと私』が大ヒットし、日本レコード大賞作詞賞を受賞。2024年、デビュー35周年を迎え、2024年5月26日に六本木クラップスでライブを開催する。