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ロングインタビュー「和田アキ子」これまで引退は何度も考えた
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2017.11.22 16:00 最終更新日:2017.11.22 16:00
2017年、デビュー50年を迎えた和田アキ子(67)。
芸能界入りして大きな転機になったのが1973年に放送を開始した『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ系)だった。全盛期に視聴率30%超を記録した人気番組の主役は、1979年、突然、自らの意思で降板した。
「夜10時からの生放送で、土日は地方でのコンサートが入っていました。
過密スケジュールだったこともあり、あるとき、声が出なくなってしまって。ライブ中『皆さん、ごめんなさい。声が出ないのでお金を全部返します』と頭を下げたら、『いいのよー』『せんだ(みつお)は元気か?』とか、声をかけてもらって、悔しさと情けなさで涙が止まらなくなった。
泣きながら帰京して事務所(ホリプロ)に『番組をやめたい』と申し出たんです。そして、『大阪に帰って、暴力バーでもやります』って。殴るほうじゃなくてぼったくりのほうです(笑)。
ホリプロは私の意見を尊重してくれて、降板した。けれども、日テレを2年間、出禁になったんです。私だけならまだしも、(山口)百恵、(森)昌子も、そのマネージャーも、ホリプロ自体が出禁になった。
その後、また日テレでレギュラーを持つことになるから不思議だけど。でも『うわさの~』があったからこそ、今の和田アキ子があると思っています」
身長176センチ、足のサイズは 26.5センチ。頑丈そうに見えるが、病気とも闘ってきた。声帯ポリープの除去、肺気腫、子宮ガン、肋骨骨折、椎間板ヘルニア、関節リウマチ。3週間に一度、自分でリウマチ予防の注射を打つという。
「満身創痍です。20日ほど前から頭が痛くて眠れなくて。睡眠導入剤をもらったけど効かない。昨日、病院へ行って『緊張性頭痛』だとわかったんです。
眠れないし声も出ないから憂鬱になって。昔から愛読している詩人・茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』という詩を読んだんです。最後が『自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ』という。もうボロボロ涙が出て……。すべては自分のせいなんですよ。いろんな意味でね。うわーっと泣いたあと、相田みつをを読んだ。
でも、これはみんなが求めている和田アキ子の姿じゃない。そこでまた酒を飲む。そして、『どっちやねん、私は!』って落ち込む。どっちの自分も私なんですよね」
「大阪でやんちゃしてた私が上京して、芸能界の縦社会のなかでいっぱいいじめに遭って、『(体が)大きいからそばに寄るな』とか言われながらね。地元の仲間に、『アッコ、頑張れよ』『世界に飛び立てよ!』と背中を押されて出てきた手前、なにがあっても5年はやってやろうと思ってた。
だから最初の5年は意識したけど、そのあとはぜんぜん。50周年っていわれてもね。通過点でしかないし、そんな大変なことなの? って思う。
でも、50年やってこられたことへの感謝はあります。きれいごとじゃなくて、応援してくれるファンと、給料安いけどホリプロのおかげです。ホリプロなんてね、私がデビューしたときは赤坂の貸事務所だった。いまやビル5棟。そのうちの1棟は私のおかげ。あとは百恵と昌子、役者たち……(笑)。
これまで、引退は何度も考えました。芸能界は人気商売で、人の “気” ほど、いい加減なものはない。同じことやっていたら、『違うことやれ』。違うことやると、『前のほうがよかった』と言われる。正解がわからないわけです。
だから、自分で軸がブレないようにするしかない。見るも勉強、聴くも勉強、やるも勉強。自分に都合のいい言い方をすれば、お酒を飲んでいろんな人に会って話を聞く。
するとね、本を一冊読むより感動することが多いんです。和田アキ子は人に恵まれているラッキーな女だと思いますね」
わだあきこ
1950年生まれ。大阪府出身。1968年、シングル『星空の孤独』でデビュー。11thシングル『あの鐘を鳴らすのはあなた』で、日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞。『NHK紅白歌合戦』は女性歌手として最多出場。10月25日、50周年記念ベストアルバム『THE LEGEND OF SOUL』発売。同日、全国ツアー「THE LEGEND OF SOUL」が始まる。「私のステージを観たことがなかったら、ぜひ、足を運んでみてください。元気と勇気と人の優しさを “歌” で伝えたいと思っています」
(週刊FLASH 2017年11月7日号)