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柳原可奈子、「気になっちゃう感じ?」ギャル店員ネタでのブレイクから20年「おばさんに片足を突っ込んでも私はもっとエネルギッシュ!」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.06.02 11:00 最終更新日:2024.06.22 09:01
西武新宿駅から電車に乗り約10分。新井薬師前駅を降りると、都会とは思えない光景が広がる。昭和の香りが漂うノスタルジックな街が、柳原可奈子のホームタウンだ。
「中野区の新井薬師には、生まれてからお笑い芸人になって2年めの22歳まで住んでいました。母がこちらの『蜜蜂』さんの隣のビルでスナックを経営していて、父はそこの常連客だったそうです。それが縁で結婚したと聞いていますから、『柳原家』の歴史はこの町にあるんです。
今日はクリームソーダと “昼でも夜でも食べられるモーニングサービス” の『厚切りバタートースト』を注文します。お値段もすごくリーズナブルなんですよ」
蜜蜂は1980年に開店した純喫茶。窓際に座った柳原は、クリームソーダのように鮮やかなグリーンのワンピース姿だった。ゆったりとしたシルエットで、似合っている。小さいころは、どんな女のコだったのだろうか。
「ひとりっ子だったので大人のなかにいることが多かったです。スナックの従業員さんが我が家でお化粧をしてから出勤することもあって、そのときの会話をマネしてみんなを笑わせたりしていました。オマセさんだったんです」
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いつもニコニコしていた女のコが「お笑い芸人になりたい」と決意したのは小学5年生のころだった。
「タモリさんが司会をしていた『ボキャブラ天国』(フジテレビ)に夢中になりました。ビデオに録画して、学校から帰るとすぐに再生。くりぃむしちゅーさん(当時は海砂利水魚)、爆笑問題さん、Uーturnで活躍していた事務所の先輩の土田晃之さんたちのネタを何度も観ていました。そして小学校の卒業文集に『将来はお笑い芸人になりたい』と書いたんです」
中学生になると『爆笑オンエアバトル』(NHK)を観ながら出演者のすべてのネタをノートに書き写し、高校では自分でコントネタも作るようになっていた。
「私のブレイクネタだった『ショップ店員』の原型みたいなネタがあって、それを学園祭で披露したら大ウケ。高校卒業後に入学した東京アナウンス学院のお笑いタレント科(現・芸能バラエティ科)が、高校生のためにお笑いライブを開催していたので参加したら優勝をいただけました。そんなこともあって、プロとして早くデビューしたくて仕方がなかったです。学生でいるのがもどかしかったほど。ライブの優勝ネタは、当時、モデルの蛯原友里さんが大人気だったので、同じような衣装を着て『エビちゃんになりたくて店員さんにすすめられた洋服を着たけど、エビちゃんになれなくて電話で文句を言う』という内容でした」
東京アナウンス学院の卒業と同時に太田プロダクションに所属。すると間をおかず『エンタの神様』『ぐるぐるナインティナイン』(ともに日本テレビ)に出演し、ナインティナインの矢部浩之からは「このコ、ブレイクの予感」と絶賛された。予言どおりに『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)の「初代レッドカーペット賞」を受賞した。だが、憧れのお笑い芸人になれたものの、柳原は苦しんでいた。「お仕事をいただけるありがたさと同時に、プレッシャーで押し潰されそうになっていました」と振り返る。
「お笑い好きの女のコがたまたまブレイクの機会をいただけて、たまたま売れてしまったのが私です。下積みもなくプロになったので、圧倒的にネタがありません。持ちネタは数本でした。だけど出演番組はどんどん決まっていきます。『同じネタを見ていただくことは絶対にできない。急いで作らなくちゃ』と、そればかりを考えていました」
また私生活でも、よき理解者でもあった最愛の母をデビュー直前に亡くしていた。ギリギリの精神状態にいた柳原を救ったのは、一緒に暮らしていた父だった。2人はよく一緒に蜜蜂でモーニングを食べ、気分転換に父娘で買い物にも行った。
「父と渋谷の『109』に行ったとき、『おい、可奈子。店員がみんなお前のマネをしているぞ』って真顔で言うんです。『違うよ逆。私がマネしてるんだよ』と言いました(笑)。
ある日、仕事から家に帰るとキャバクラの女のコだと思うんですけど…ギャルがいて、私を見て『本物の柳原可奈子ちんゃだ』って驚いたんです。きっと父が飲み屋さんで『俺は柳原可奈子の父親だ』と言ってたんでしょうね。
また、ある番組が父に『娘に一言』みたいなアンケートを取ったときは『芸能界は一発屋が多いから稼げるうちに稼げ』って。オンエアを観て『なんという父親だ』と思いました。アハハ」
間もなく芸人としてのキャリアも20年を迎える。振り返り、どのような気持ちかを聞くと、「日常生活では、ほとんどさみしさと闘っていたと思います」と答えが返ってきた。
「10代後半と20代で両親が亡くなり、さみしい気持ちばかりでした。だけどそれに真正面から向き合えたことは、いい経験にもなりました。
結婚して子供を授かり、今は『さみしい』という気持ちがまったくなくなりました。これまでの “やり場のないさみしさ” がなくなると、『私にはこんなにパワーがあったんだ』と思うようになり、今はすごくエネルギッシュです」
子育てを理由に一時休業していた柳原だが、5年前から芸能界に復帰した。
「正直に言うと、子育てもあって芸能界から少しだけ気持ちが離れていたんです。それに『もう、戻れないだろうな』という不安もありましたし。それでマネージャーさんには『私がおばさんになったら、こういう仕事をしたい』と将来のことばかりを語っていたんです。そうしたらマネージャーさんに『もうおばさんに片足を突っ込んでいるんですから、今から始めたらいいじゃないですか』と言われて。『そうだよね』と目の前がパッと開けた気持ちになりました。だから今は『再デビュー』しているという気持ちです。
でも、共演した若い方から『子供のときにショップ店員のネタをよく観ていました』と言われたりすると『え〜、子供のころ? そんな〜!』ってなりますけど」
そう言って笑う柳原には、 “やりたいこと” がある。
「今、インスタグラムで子供との生活で思っていることや日々の出来事などを綴っています。長女が脳性マヒでもあるので、日常のなかで感じることがたくさんあります。そんな私から見える世界を、いろいろ多くの方に読んでいただけたらなぁ……なんて思っています」
ママになった柳原は強く、そしてさらに優しくなっていた。
やなぎはらかなこ
1986年2月3日生まれ 東京都出身 2006年にお笑い芸人としてデビュー。2008年、「第45回ゴールデンアロー賞」新人賞を受賞。『今夜はナゾトレ』(フジテレビ系)、『THEカラオケ☆バトル』(テレビ東京系)、『嗚呼!みんなの動物園』(日本テレビ系)にレギュラー出演中。映画『まぼろしの邪馬台国』(2008年)、ドラマ『MONSTERS』(2012年)、『家族ノカタチ』(2016年)などでの演技も話題になった。2019年2月に一般男性と結婚。同年11月に第1子、2022年11月に第2子を出産した
【喫茶「蜜蜂」】
住所/東京都中野区新井5-27-2
営業時間/10:00〜21:00(L.O.20:45)
定休日/火曜
写真・木村哲夫