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釈 由美子、天然系タレントから悪女役がハマる本格派へ「演じているときは、私の中にある何かが解放されるんです」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.06.09 11:00 最終更新日:2024.06.09 11:00

釈 由美子、天然系タレントから悪女役がハマる本格派へ「演じているときは、私の中にある何かが解放されるんです」

釈 由美子

 

 箱根の仙石原にある、ピッツアが美味しいと評判の「solo pizza TARO's」。

 

 地元では三國連太郎さん、伊丹十三さんらが愛用したことで知られるファッションブランド「PAPAS」のデザイナー・荒牧太郎氏が、自身の別荘の近くに建てた店として知られている。

 

 土壁造りのアーチ型エントランスをくぐり、重厚な木製ドアを開けると大きなピッツア窯が見える。窯の中では薪が爆(は)ぜ、ピッツアが美味しそうに焼けていた。

 

「温泉好きで、箱根には毎週のように来ていました。

 だけど愛犬たちと泊まれるホテルや旅館が少なく、交通費ももったいなかったので、両親と相談して2011年、仙石原に温泉つきのログハウスを購入しました。

 両親は東京を離れて住み、母はコンビニでパートをしてすっかり地元の人になっていました。そんな生活のなかでこちらのお店を知り、通わせていただくようになりました。初めてピッツアをいただいたときの感動は今も忘れられません」

 

 緑に囲まれたテラス席で大好きなマルゲリータを味わう釈。今は「亡くなった両親との思い出がありすぎるので」とログハウスを手放したが、時間ができれば箱根によく来るという。

 

 

 釈が芸能界デビューしたのは、学習院女子短期大学(現・学習院女子大学)に在学しているときだった。

 

「その少し前に自宅が火事に見舞われました。家にいたのは私と母。消防車を呼ぼうとするんですけど、119の番号が思い出せないんです。お風呂の水で消火していた母に『早く逃げて!』と必死に叫びました。母は救急車で運ばれ、私は現場検証に立ち会ったのですが、ほとんど記憶はありません。その後は……精神的なダメージで過呼吸やパニック障害になり、大学に通うのがしんどくなりました。そんな状況でしたが、『今までの自分なら絶対にやらないことをやってみよう。大好きな女優さんにお会いしたい』と思い、その方が所属する事務所に制作など裏方希望で応募しました」

 

 採用されて間もなく、事務所が応募した、週刊ヤングマガジンの「Missキャンパスグランプリ」に選ばれた。さらに受賞後は深夜バラエティ番組『ワンダフル』(1997〜2002年、TBS)の第1期ワンダフルガールズに選ばれるなど、表舞台に登場することになった。

 

「芸能活動に自信はなかったですし、自分が(芸能界に)向いているとも思いませんでした。だから、いつも『私はいま、どこにいるんだろう』と心ここにあらず。そのため『すぐに声がかからなくなるだろうし、これも人生経験だ』と思うことにしました」

 

『ワンダフル』の卒業直前に発売したファースト写真集で、初めてのファンイベントを経験。そこで気持ちに変化が起きた。

 

「グラビアのお仕事は、スタイルもプロポーションも悪いので申し訳ない気持ちでした。『写真集は誰も買ってくれないだろうな』と落ち込んでいましたが、当日、会場に多くの方が並んでくださっているのを見て、驚きとともに『皆さんの期待に応えたい』と思うようになりました」

 

 やがて女優の仕事も増えていった。

 

「グラビアでは “ほんわか” した印象の女のコがカメラの前でアンニュイな大人っぽいポーズをするという『台詞のないお芝居』を心がけていました。そんな経験を重ねるうちに『台詞のあるお芝居』をしてみたい気持ちが芽生えていったのかもしれません。

 映画デビュー作は『修羅雪姫』(2001年)。プロデューサーさんが、私が出演していたバラエティ番組を観てくださり『この人には闇がある。笑顔の裏にある寂しさ、孤独な部分を引っ張り出したい』と起用してくださいました。

 アクションシーンも多くて怪我もしましたが、私の中で『何かが解放された気持ちよさ』もありました」

 

 ドラマ『松本清張 黒革の手帖』(2004年、テレビ朝日)に出演したときは私生活まで変わったという。

 

「銀座のクラブにお邪魔して、ママさんのお話を伺ったりしました。

 

 役では華やかな衣装が多かったので、そのせいなのか、この時期のプライベートの服はヒョウ柄などが多くなっていました。いつもは地味なファッションなので、撮影が終わったとき『どうしてこんなに派手な服が?』と自分でも驚きました。波子(役名)が私の中に入っていたのかもしれません」

 

 クセのある “波子” 役が好演だったこともあり、釈には悪女役のオファーが多くなっていった。

 

「犯人役も多かったです。『私って、そのイメージが強いですか?』という気持ちにもなりましたけど、『悪役として見ていただけるのも女優冥利に尽きるな』と思うようになり、最近は台本をいただくと『今度はどんな悪役かしら』『きっと私が犯人役ね』と楽しみになります。

 

 逆に『いい人の役』だと『私でいいんですか?』と聞いちゃいますね(笑)」

 

 だが、「悪役をお受けするときも、自分なりに境界線があります」と言う。引き受ける境界を「共感はできないけれど、救いようのある悪役」と表現する。

 

「以前に幼児虐待をする役の打診をいただきました。台本を読んでいるだけで涙があふれる作品でしたが、そのころ私は母親になっていたので、その役に共感もできず、 “救いよう” も見出せませんでした。私がこの役を演じることで、息子も含めて私生活に影響が出ることも心配しました。
 プロとして甘いのかもしれませんが、最終的にはお受けしませんでした」

 

 インタビュー終盤、釈は「20代は仕事も多く、根拠のない自信と野心と『もっと私を観て』『もっと作品に出て認められたい』という承認欲求も強かったと思うんです。

 

 でも30代になると、以前に比べて仕事も減ってきました。支えてくれる人もいなかったので『もっと仕事をしたい。でも結婚して家庭も持ちたい』という葛藤がありました。そのころはちょっと気持ち的につらい時期だったかもしれません」とつぶやいた。それを救ったのは登山だった。

 

「『にっぽん百名山』(NHK)に出演させていただきました。山頂を目指しているときの気持ちは『無』なんですけど、登山は『自分の力で登る』ので、どこかで『自分探し』をしているような気持ちになったのかもしれません。

 

 それと当時、父との関係が少しギクシャクしていたので、学生時代に登山部だった父を誘うこともありました。

 

 一緒に登山をするようになって間もなく父は病気で亡くなったのですが、山頂で喜ぶ顔を見られてよかったなと思っています」

 

 登山の最終目標は、どの登山口から登っても一日以上かかる北アルプスの最深部だ。

 

「北アルプスの雲ノ平で、日本最後の秘境とも呼ばれている場所です。経験者から『大変だぞ』と聞いていますが、父が亡くなる前に登りたいと言っていたので、いつか父の位牌を持って挑戦したいですね」

 

しゃくゆみこ
1878年6月12日生まれ 東京都出身 映画『修羅雪姫』(2001年)でスクリーンデビュー後、『ゴジラ×メガゴジラ』(2002年)などに出演。ドラマ『スカイハイ』(2003年)、『7人の女弁護士』(2006年、ともにテレビ朝日)などで主演を務め、出演作は100作を超える。映画『IKE BOYS イケボーイズ』(6月14日公開)にレイコ・グラフストロム役、映画『カミノフデ ~怪獣たちのいる島~』(7月26日公開)に時宮優子役で出演する。また、書籍『釈ビューティー!』『釈ボディ』『釈美スタイル』『山の常識 釈問百答』を上梓。温泉ソムリエ、古武道(正伝十二騎神道流)二段の資格を持つ

 

【solo pizza TARO’s】
住所/神奈川県足柄下郡箱根町仙石原999
営業時間/月・金・土・日曜11:30〜15:00、17:00〜20:00、木曜17:00〜21:00
定休日/火・水曜

 

写真・木村哲夫
ヘアメイク・田中宏昌(アルール)

( 週刊FLASH 2024年6月18日号 )

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