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東京と富山で「遠距離介護」柴田理恵が要介護の母から教えてもらったこと

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.06.10 11:00 最終更新日:2024.06.10 11:00

東京と富山で「遠距離介護」柴田理恵が要介護の母から教えてもらったこと

 

 6月7日のNHK富山放送局のニュース番組で、校歌の作詞を手掛けた柴田理恵さんが、母親の須美子さんと一緒に母校の富山市立八尾中学校を訪れた様子が放送されました。

 

 須美子さんも八尾中学校の出身で、柴田さんが詞を書いた校歌を聞きたいという願いがありました。体調不良のため実現できずにいたのですが、このたび生徒たちが歌う校歌を聞くことができたのです。

 

 

 筆者は以前、須美子さんを遠距離介護する柴田さんにお話を伺っています。

 

 現在94歳の須美子さんは、6年前に高熱を出し病院に行くと腎盂炎と診断され、そのまま入院。要介護4と認定されました。

 

「4になったときは、私が病院に会いに行って『お母さん、わかる? 私だよ』って言っても『あ~あ~』ってなってたんですよ。

 

 だから、そのときはこのまま認知症になって、亡くなるのかなと思いました。でも、しばらくしてちょっとだけ回復したので、また病院に行って『お母さん!』って声をかけたら私のことがわかったんですよ。

 

 それで、お母さんに『何か目標を持とう。何したい? お正月私に会いたいよね?』って言ったら『会いたい』って。『正月一緒に酒飲みたいよね?』『飲みたい』『よし! 酒飲めるように頑張ろう!』って言ったら、みるみるうちに2、3カ月で回復していったの(笑)。それで本当に正月お酒も一緒に飲んだし要介護も1になったんです」

 

 コロナ禍は年に1回しか会えませんでしたが、いまは毎日電話で須美子さんと話していると言います。

 

「電話でも『正月帰るから一緒にお酒を飲むのを目標にしようね』って話してます。あと、その日の天気の話も大事。『今日はあったかかった? 寒かった?』て。そうやって振り帰ることで1日を確認できるんです。

 

 ほかにも、昔の話をして記憶を思い出させる。『あのときのあれはどうだった?』『あれはこうだった』って話していると、ちょっと元気になるんです。1度に全部話さなくていいので。母はその日に思いついたことを10分ぐらいですが、バランスよく話しています」

 

 親というのは私たちを生んでくれて、ちゃんと育ててくれて、いろいろなことを教えてくれる存在だと柴田さんは話します。

 

「いろんな人と話してコミュニケーションを取ったり、リハビリを頑張ったりしているのを見ると、私も『ああいうふうに生きなきゃな』と思いますね。だからお母さんは、最期に向かう生き方も教えてくれているんですよ」

 

 遠距離介護をされている方へのアドバイスを求めると、

 

「なるべく電話してあげて。『何月になったら孫の顔を見せに行くからね』とか、楽しみや目標を持たせてあげてください。

 

 自分の話をしてもいいし、とにかく電話してあげるということがいちばん大事。そうするとご両親も喜ぶと思うので頑張れると思います」

 

 94歳にして元気でいられるのは、須美子さんの懸命なリハビリと柴田さんの遠距離介護の賜物だったんですね。。

インタビューマン山下

1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。

( SmartFLASH )

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