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小柳ルミ子「歌手になれ」と言われ続けて受けた「母の英才教育」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2017.12.06 16:00 最終更新日:2017.12.06 16:00
歌手の小柳ルミ子が、12月2日放送の『サワコの朝』(MBS毎日放送)に出演。母親からの英才教育について語っていた。
小柳は、「物心ついたとき、幼稚園のころには『歌手になるんだ』『芸能界に入るんだ』って母に洗脳されていました。母が歌が大好きで。『女の子を産む。そして歌手にする』っていう(目標があった)」と発言。
司会の阿川佐和子も、思わず「産む前から?」とツッコむ。小柳が幼いころから受けてきた英才教育はどのようなものか。
「3歳のころからクラシックバレエを始めて、週に8つのお稽古。クラシックバレエ、ピアノ、歌、ジャズダンス、タップダンス、日本舞踊、三味線、(サインの練習の)習字まで」
阿川に「友達と遊んでる暇ないでしょ?」と聞かれた小柳は、「授業が終わって、みんな校庭でお友達が遊んでいるのを横目で見ながら、私はレオタードとトウシューズを持ってお稽古ごとに通う。『私はこの子たちとは違う道を歩むんだ』って、そのときから思ってました」と応じた。
母親について小柳は、「すっごい厳しかったです。もう母と一緒に歩きたくないくらい嫌いだった。箸の上げ下げから、靴の脱ぎ方から(すべて)。何か褒めてくれたこともないし、ハグしてくれたこともない。慰めてくれたことなんて一度もない。子供のころは、『このお母さんは、私の本当のお母さんじゃない』って思ってました」と説明。
その後、小柳は母親の薦めで宝塚音楽学校へ入学するも、「もっと厳しいところでやってみたかった」と退学し、自ら芸能事務所に電話。1971年、『わたしの城下町』で歌手デビューを果たす。
厳しかった母であるが、小柳が2000年の離婚騒動でバッシングを受けた際は、「ルミ子、信じとうよ。わたしの娘やけん、こんなことで負けるはずがなか。信じとうよ」との言葉をかけ、小柳を励ました。
2006年、小柳の母は86歳で他界。小柳のオフィシャルブログによると、母の最後の言葉は「も~ォ、頑張らんでよかとよ。ずーっと頑張って来たっちゃけん。ルミ子が幸福で楽しいのが一番」だったという。
すべてに厳しかった母親は、歌手・小柳ルミ子の生みの親であり、最大の理解者だったに違いない。