僕らの少年時代を彩ってくれた1970~1980年代の「夏のCM」。海外撮影も当たり前だった当時の撮影秘話を、あこがれの出演者たちが明かしてくれた!
榊原るみの芸能界デビューは早く、3歳までさかのぼる。ピアノ教師だった母がファッションショーの伴奏をしていた関係で、引っ込み思案の性格を治すため、子供服のモデルを務めたのがきっかけだ。
「12歳でスカウトされ、光文社の雑誌『少女』の最後の専属モデルにもなったんですよ。東宝のスター女優だった内藤洋子ちゃんは同期です。でも、彼女みたいに演技するのなんてとても無理だなって、ずっとニッコリ、写真に収まっているだけでした」
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女優業への進出は、1960年代後半になってから。ホームドラマの末娘役などが多かったが、1971年にいまだ語り草となる映画とドラマ2作に出演し、一挙にブレイクを遂げた。
映画は、マドンナ・花子役を演じた映画『男はつらいよ 奮闘篇』。ドラマの1作めは、ヒロインの坂田アキ役で知られる『帰ってきたウルトラマン』(TBS系)、さらにもう1作は、故・石立鉄男さんと共演したドラマ『気になる嫁さん』(日本テレビ系)だ。
「マドンナは『当初は、ほかの女優さんが演じる予定だった』と、のちに聞かされました。『寅さん』に出て、すべてが始まった感じですね」
その年、キリンレモンのイメージガール、2代目「さわやかさん」に選ばれた。1970年代初頭らしく、ポップで少しサイケデリックな大キャンペーンを、これまでにない規模で展開した。
「ハワイのマウイ島で1週間、ロケしたのは覚えています。CMの現場に、スチールの撮影隊も来ていました。ペアの男の子はハーフのモデルで、CM出演はこれっきりだったんじゃないかな。CMに登場した人力飛行機は、スタッフが作っていましたね」
『気になる嫁さん』の大ヒットで「お嫁さんにしたい女優ナンバーワン」と呼ばれ、その後も数々のCMに出演したが、どれも家庭的なイメージだった。だが、実際はネクラな性格で、反動で明るく振る舞ううち、それが「板に着いてしまった」と榊原は笑う。
「キリンレモンのCMは、素の自分に近いと思います。さわやかだけど、ちょっと寂しく見えない? けなげにがんばっている感じが、いまの自分には伝わってきます」
私生活での榊原は、28歳で最初の結婚。47歳で離婚した後、長女で女優の松下恵が主演した映画で監督を務めた、すずきじゅんいち氏と2001年に再婚した。
すずき氏とは、日系人を描くドキュメンタリー映画制作のため、ともに渡米するなど、“お嬢さん女優”のイメージを打破する果敢なチャレンジを重ねてきた。
「いまはもう来るものは拒まずで、老いらくの恋などもどんどん演じてみたい」
榊原は軽やかに開き直り、笑顔を見せた。
さかきばらるみ
1951年生まれ 東京都出身 1966年にドラマデビュー。トップスターとして、多数のホームドラマや昼ドラに主演。一方で『ロボット8ちゃん』、『バッテンロボ丸』(ともにフジテレビ系)で母親役を演じ、特撮ファンの支持も高い
写真・保坂駱駝、取材/文・鈴木隆祐