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笑福亭鶴瓶も感心した「野村萬斎」を育てた母の英才教育
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2017.12.17 16:00 最終更新日:2017.12.17 16:00
狂言師の野村萬斎が、12月14日放送の『ごごナマ』(NHK)に出演し、黒澤明の映画『乱』(1985年)で映画デビューしたきっかけについて語っていた。
番組で萬斎は、「黒澤監督から『少年で、能・狂言の技術を有した人物を』と、(演技指導の)父に相談があったみたいで。他の子で進めるつもりが、そこに母親が私の写真を紛れ込ませたみたいです。『歳はくっているけど技術も持っているし、出演してもらおう』となった」と発言。
出演者から、「本当はもっと小さい子の予定だったと聞きましたが」と聞かれた萬斎は、「そうですね、(設定は)確か10(歳)前後だったと思います。私は17歳でしたので、かなり大人ですよね」と応じていた。
母親の手助けがなければ、萬斎の映画デビューは実現していなかったことになる。
この映画出演は、萬斎にとって大きな転機になったと2012年11月9日放送の『A-studio』(TBS系)で明かしている。
「子供のときは、狂言なんか堅苦しいし、すぐ怒られるし、『つまんねえな』というのはありますよね。でも黒澤さんの映画に初めて出て、狂言以外のところで表現していいんだと。
しかも僕らの技術を、(映画などに)使っていいんだと。技術は使いようだなって思いました。僕が3歳から身につけてきた技術を使ってこそ、自分なりのアイデンティティを発揮できるのではないかと」
萬斎の転機を作った母親とはどんな人物なのか。
『A-studio』の取材中、司会の笑福亭鶴瓶が、萬斎の息子も狂言の舞台に出ていることに触れ、「お孫さんが出てるところが見られて幸せですね」と言ったところ、萬斎の母親は「それよりも、萬斎が有名になってくれてすっごく嬉しいです」と、いきなり言ったという。
これに対して萬斎は、「母が嫁いだころなんかは、父もまだ若く、それほど狂言が認知されていない部分が多かったので。(母も)苦労しましたのでね」と応じる。
鶴瓶は「お母さんステージママやな。お母さんが売れさしたんや。だから、お母さんは『有名になって嬉しい』と言ったんや」と絶賛していた。
かつて萬斎は、能狂言の情報誌「KENSYO」インタビューで母親について、「母親は自由な発想の人で、ビートルズやシェイクスピアを教えてくれて、感性を磨かせてくれましたね。母方の親せきには小説家の永井荷風や高見順がいて、母も詩を書いたりしますし、よく本を読んでくれました」と語っている。
ちなみに萬斎は、技術は父から、感性は母から受け継いだとし、ロンドンでの演劇留学を後押ししてくれたのも母親だったと明かしている。
番組で「黒澤さんの映画が1つの転機」と語っていた萬斎は、現在、映画や舞台に引っ張りだこ。2016年の映画『シン・ゴジラ』では、ゴジラのモーションキャプチャーも担当している。俳優・萬斎の産みの親は母親だったのだ。