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いまだから語れる「草野仁」私はこうしてNHKをやめました

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2017.12.20 06:00 最終更新日:2017.12.20 07:08

いまだから語れる「草野仁」私はこうしてNHKをやめました

 

 フリーアナウンサー草野仁が、12月16日放送の『おぎやはぎの愛車遍歴』(BS日テレ)に出演し、NHKアナウンサーからフリーへ転向するきっかけについて語っていた。

 

 いまでこそ司会者の代名詞のような存在の草野だが、もともとは記者志望でNHKの入社試験を受けたという。

 

 草野は「採用通知を開けてみてびっくり、『アナウンサーとして採用』。間違いだろうと思って電話をかけたら、『間違いない。アナウンサーとして採用した。もし嫌だったらやめてもらうよ』って」と語る。

 

 草野にとって、半ば強制的にスタートしたアナウンサー業。最初の配属先はNHK鹿児島放送局だった。

 

 草野は当時を、「やる以上は、アナウンサーの仕事とは一体何をやるのか……客観的にじーっと見て。アナウンサーとして、いちばん一生懸命できることは何かと考えたとき、『スポーツ放送だけは、アナウンサーが取材して表現するから、自分で好きなことができる』と。スポーツが大好きでしたので、スポーツアナウンサーとして東京へ帰ることを目指そうと作戦を立てた」と振り返る。

 

 草野は33歳で、念願の東京アナウンス室に異動。40歳で、NHKロサンゼルスオリンピック特番の総合司会を務めた。草野は大役を果たしたことを気にしてなかったというが、同業者からは「あなたはNHKで、もうこれ以上の仕事は何もないよ」と指摘された。

 

 言葉通りになってしまったのか、草野は翌年41歳でNHKを退職する。

 

「どの局もそうなんですけど、報道局というのが一番多くの人数と権力とお金を持っています。ところがアナウンス室というのは、どの局も小さなグループでしかない。力関係でいうとすごく弱小で」

 

 草野によると、報道番組を作るにあたって、アナウンサーはあくまでサブの存在。メインキャスターは報道局の記者が務めることになっており、重要な決定権はすべて報道局にあったそう。

 

 草野は報道局に対して「こんなアナウンサーもいますがどうですか」と勧めてみたり、「アナウンサーも同じ土俵にあげて競争させてみてはどうですか?」などと意見していたという。 

 

 そんな草野に、退職を決意させる決定的な出来事が起きる。

 

「ある日、NHKアナウンス部のトップの人が、『報道局長といろいろ話をしましたが、今後我々は報道局の指示通りにすべてやっていくことにしました』と言ったんです。それは白旗を上げて、何も努力しないってことなのねと。もうこんなところにいてもしょうがないなと。それで辞めようと」

 

 草野は、フリーになった次の年、TBSの朝の情報番組の司会に抜擢。すぐ後に担当し始めた『世界ふしぎ発見!』(TBS系)は30年以上も続く長寿番組になっている。

 

 番組では「よく考えると、すごく危ない橋を渡った」と当時を語った草野。いまの結果を見れば、フリーになって間違いはなかっただろう。

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