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とんねるず 大ヒットシングル『一気!』はなぜ生まれたのか? 武道館ライブ直前、ディレクターが明かす誕生秘話
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.11.02 06:00 最終更新日:2024.11.02 06:00
2024年11月8日、9日、29年ぶりとなるとんねるずのコンサート「TUNNELS THE LIVE 2024 Budokan」が日本武道館で開催される。チケットは即完売し、あるチケットサイトでは25万円ものプレミア価格がつくほどの人気ぶりだ。
帝京高校の同級生だった石橋貴明(63)と木梨憲武(62)は、『情けねえ』(1991年、73万枚)『ガラガラヘビがやってくる』(1992年、140万枚)『一番偉い人へ』(同、60万枚)など、シングル21枚、アルバム14枚(ミニアルバム含む)をリリースしているミリオンセラーアーティストである。そんな実績を持つお笑いコンビは、とんねるず以外に存在しない。
「1984年9月、大沢誉志幸さんのライブを観に行った日のことです。アンコールで大沢さんが、缶ビールを片手にふらふらしながらステージに戻ってくると、観客の声援が『一気! 一気! 一気!』と始まったんです。へえ、いまどきの人たちはこんなことやるんだと思って。じゃあ、『一気!』という曲を作ってみるかと」
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こう語るのは、元ビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)でディレクターを務めていた田村充義さん。当時、スペクトラムや小泉今日子を担当する一方で、山田邦子の『邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)』(1981年)をヒットに導いた「パロディ音楽」のヒットメーカーだ。ちなみに、嘉門達夫の『鼻から牛乳』(1992年)も手がけている。
田村さんが続ける。
「僕は早稲田大学時代、体育会系の剣道部に所属していたこともあり、『一気!』を歌うのは学生服で背の高い2人組がいい、と考えました。そこで、『お笑いスター誕生!!』(日テレ系)でグランプリを獲得し、『オールナイトフジ』(フジテレビ系)に出演していたとんねるずに白羽の矢を立てました。彼らは過去に2枚の企画盤をリリースしていて、3度めの歌手デビューになりましたが、所属事務所からOKをいただきました」
そして、田村さんは放送作家で作詞家としても頭角を現わしていた秋元康氏に連絡した。
「とんねるずで歌を作ろうと思っているんだけど、一緒にやってくれない?」
「2人とは放送作家として絡んでいるから、大丈夫だよ」
「作曲は誰に頼もうか?」
「一風堂の見岳(章)くんがいいんじゃない?」
こうして田村、秋元、見岳の3人による「一気! プロジェクト」がスタートした。
「曲のイメージは一世風靡セピアの『前略、道の上より』(1984年)をベースにして、打ち込み系のサウンドで派手にして、サビは『一気!一気!』。見岳クンとしては、そんなに難しくなかったと思います(笑)」
歌詞(ネタ)と曲、オケはスムーズに仕上がったのだが、歌い方には試行錯誤があったという。
「僕は山田邦子さんの『邦子のアンアン小唄』(1982年、大滝詠一作曲)のとき、山田さんにふつうにちゃんと歌ってもらって、それを大滝さんに聴いてもらったら、『これじゃダメ。もっとジャニス・ジョップリンみたいに叫ぶバージョンにして』と言われて、歌入れし直した経験があったんです。『さすが、大滝さん。上手に歌ってもおもしろくないんだな』と。だから、『一気!』も迫力のあるものにしようと。当時は、秋元さんも現場に来てくれて、一緒に歌い方を考えてくれました」
『一気!』は、忘年会シーズンに合わせて1984年12月5日に発売された。その3日後、学生服姿のとんねるずが『オールナイトフジ』(フジテレビ系)で同曲を披露すると、瞬く間にチャートを駆け上がり、最高19位を記録した。
「『一気!』のヒットで、すぐに1stアルバムを作ることに決めました。本人たちは歌まねが得意なので、矢沢永吉、松山千春といったイメージで作っていきました。最初からコミカルなものにはしたくなくて、サウンドにはこだわって、かっこいいスタートにしないといけないなと思って。真面目で安定感のある貴明をなるべく先に歌わせて流れを作り、憲武があとから自由に歌うように、だいたいの曲は構成しました」
1985年3月21日、秋元氏が命名した『成増』が発売され、オリコン10位を記録した。2枚めのシングル『青年の主張』(同年4月21日発売)は15位、3枚めのシングル『雨の西麻布』(同年9月5日発売)は、5位にランクインする大ヒットとなった。リスペクト曲のネタ元は、「一世風靡セピア」→「ディープ・パープル」→「内山田洋とクールファイブ」と変遷していった。
「サザンオールスターズがシングル『勝手にシンドバッド』でデビューして、3枚めに『いとしのエリー』をヒットさせて、大成功を収めました。だから、とんねるずも3枚めはバラードでいこうと決めていた。『雨の西麻布』は、とんねるずにとってのバラードでした」
じつはこの『雨の西麻布』は、作曲した見岳章がアレンジしたバージョン(ベストアルバム『自歌自賛』に収録)がある。全体的な雰囲気やイントロのフレーズなどは、ほぼ同じだが、打ち込みの音がメインだった。
「見岳さんのアレンジをボツにして、大御所の高田弘さんにお願いしました。演歌をやるならやるで、本気でいこうと。コーラスを内山田洋とクール・ファイブにお願いしました」
その後、とんねるずは、『歌謡曲』『やぶさかでない』など、シングルヒットを連発していく。とんねるずの音楽が支持された理由はどこにあったのだろうか?
「音楽と共に、彼らのメディアでのパフォーマンスが評価されたことにあります。ドラマの主役を務めたり、CMに出演したり、冠番組が話題になったり……。とんねるずに対するイメージが広がり、幅広い視聴者を獲得していった。『ガラガラヘビがやってくる』がヒットしたとき、子供向け、一般向けに、音楽を作れるようになったんだな、と感じましたね。それだけ、多くの人に認知されたということです」
【田村充義氏が選ぶ「とんねるず」3曲】
1『一気!』(1stシングル)
「“一気”というタイトルの曲を作りたいという熱意だけで制作して、お2人のTVなどでのパフォーマンスが話題を呼んで一気にヒットしました」
2『とんねるずのテーマ』(1st『成増』収録)
「イントロの『ダビングするんじゃねーよ』の入るタイミングを何度かやり直しました。当時、大変ウケました。CDだとイントロが短いですが。」
3『天使の恥骨』(2nd『仏滅そだち』収録)
「リリース当時、敬愛する大瀧詠一さんから『そば打ち職人』の音だけを収録したCDとともに、田村の代表作だと褒められた思い出があります」
たむらみつよし
ビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)に入社後、スペクトラム、山田邦子、小泉今日子、嘉門達夫ほか、ディレクター、プロデューサーとして活躍。独立後、田村制作所を設立。プロデューサーとして、広瀬香美、ポルノグラフィティ全作品を手がける