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なすなかにし、先輩ますだおかだ・岡田からアドバイスもらったら大スベり…改名騒動でも珍体験

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.12.02 11:00 最終更新日:2024.12.02 11:00

なすなかにし、先輩ますだおかだ・岡田からアドバイスもらったら大スベり…改名騒動でも珍体験

なすなかにし那須晃行(左)と中西茂樹

 

 11月29日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)にお笑いコンビ『なすなかにし』の那須晃行さんと中西茂樹さんがゲスト出演。下積み時代に苦労した経験を振り返っていました。

 

 黒柳徹子さんからブレークするまで「長い道のりがあったそうですが」と尋ねられた那須さんは、「大阪でやってたときはまだ仕事があったんですけど、東京に来てからは本当に仕事がなくて、最初」と吐露。また上京当初は2人ともアルバイト生活を余儀なくされたと言います。

 

 

 中西さんは上野動物園の前で肉まんを売り、那須さんはビーズに糸を通す内職のアルバイト。那須さんは当時食べるものにも困る状況で、「僕、マヨネーズをずっと吸ってました。ごはんがなかったんで。ホントに炊飯器もなかったんですよ」と明かしていました。

 

 筆者も以前、上京した当初は苦労したという話をなすなかにしに取材しています。

 

中西「最初は『漫才で売れて行かなあかん』と思ってて『M-1グランプリ』(朝日放送系)に対して、特別な思いがありました。

 

 僕らが大阪に住んでた頃はM-1準決勝まで何年か連続で行ってたんですよ。でも、東京に来てから2回戦で落ちたりして、まったくウケなくて。たぶん関西弁がきつくて圧があったからですかね」

 

 東京進出後にネタがウケなくなったことで、先輩芸人に相談したと言います。

 

那須「一回、ますだおかだの岡田(圭右)さんにネタをみてもらいました。岡田さんがていねいに事細かく教えてくださって。それで、そのとおりにやったら、そこだけスベりました(笑)」

 

 そこからは自分たちで試行錯誤を重ねて漫才を作っていくことに。

 

那須「昭和の漫才師みたいなキャラ漫才をやったりしました」

 

中西「そんな感じでいろいろと形をためしましたね。でも、それが逆に迷いになってフォームを崩したのかもしれません」

 

 コンビ名を改名した時期もありました。

 

中西「ますだおかだ・岡田さんにノリで変えられて。岡田さんの番組の飲み会に参加してた人が、みんなでぼくらのコンビ名を考えて、それをボックスに入れて引き当てた名前にするということになったんです。それが『いまぶーむ』という名前で」

 

 なすなかにしと一緒に取材をさせてもらっていた、みなみかわさんは、改名当時を振り返り、「『いまぶーむ』のときは、お2人がホントに調子を崩してて。後輩からは『終わったな』と。『なすなかさん、かわいそうに、これは岡田さんに潰されたな』と(笑)」

 

 その後は『ウチのガヤがすいません』(日本テレビ系)や『笑神様は突然に…』(日本テレビ系)などの番組のロケが面白いと評判を呼び、いまでは年間300本のロケ仕事がある人気コンビとなりました。上京当時は苦労したものの、かつて名乗っていた『いまぶーむ』という名前を、体現できてよかったですね。

インタビューマン山下

1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。

( SmartFLASH )

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