エンタメ・アイドル
ダイアン、上京当初のレギュラーはネット番組1本だけ…津田はおばあちゃんから「頑張っておいで!」
1月15日の『くりぃむナンタラ』(テレビ朝日系)で、ダイアン・ユースケさんに関するクイズ企画が放送されました。
「ユースケが苦手な芸人は?」という出題に対して、解答者のダイアン・津田篤宏さんは「ハイヒール・リンゴさん」と解答。理由として「昔(リンゴさんの)レギュラー番組に出させてもらってたんですけど、大阪から東京に来るとき、ちょっとレギュラーを減らすことになって、(ユースケが)いの一番にそのレギュラーを減らしました」と暴露し、スタジオの笑いを誘っていました。
筆者は以前、ダイアンが2018年4月、東京に活動拠点を移した当初にお話を伺っています。
【関連記事:ダイアン津田が九死に一生体験「鉄の足場で漫才して感電」】
大阪の芸人が東京進出する際は、ほとんどが20代か30代です。しかし、ダイアンは41歳で東京に出てきた稀なケースでした。
津田「芸人になったからには『一回は東京に行かないと』と思ってまして、『俺もう40歳やん!』と思って。これは東京に行かんとやばいんじゃないかなというのがあって、尻に火がつきました」
ユースケ「僕らはこの世界に入ったのが22歳と遅くて、同期より4つぐらい上なんです。大阪でもいろいろ仕事させてもらって、気持ちの面でもいまが一番いい時期じゃないかと思って。それがたまたま40歳を過ぎてたということです」
大阪の芸人が東京進出する際は、大阪のレギュラー番組を卒業します。千鳥も大阪時代にやっていた10本以上の番組を整理して東京に出てきました。
ユースケ「大阪でレギュラー番組を6本やらせてもらってまして、過去に上京された先輩方は東京に行く際に番組を卒業されるので、我々も整理させてもらって大阪のレギュラーを4本にしました」
ダイアンは、千鳥と違ってレギュラー6本中2本しか整理しなかったのです。その整理した2本のうちの1本がリンゴさんのレギュラー番組だったということになります。
当時は東京のレギュラーはネットの番組が1本で、大阪の仕事の比重が大きいと話していました。
津田「まだ大阪の仕事が多くて、東京の仕事も日帰りが多いので、けっこう大阪にいるんです。子供たちは僕が東京に住んでることさえ気づいてないです(笑)」
津田さんの家族は東京進出を応援してくれていると言います。
津田「嫁の実家を継ぐ人がいなくて、僕が婿養子になりました。おばあちゃんからは家を譲り受けたりロレックスの時計やベンツをもらったりしてお世話になっています。
そのおばあちゃんに東京に行くと言ったら、『みんなから聞いてるわ。こっちのことは私らに任せて頑張っておいで』と。嫁は『あんたの好きなようにしていいよ』と言ってくれました。
僕は家事の手伝いとかいっさいしないし、なんやったら靴下も嫁に脱がせてもらってます。そんな僕なのに、本当に自由にさせてくれています」
今年4月で上京して7年になるダイアン。上京当初は東京での仕事にあまり恵まれませんでした。しかし、昨年末の『水曜日のダウンタウンSP』(TBS系)では、津田さんが主役の『名探偵津田第3話 怪盗vs名探偵~狙われた白鳥の歌~』が2時間放送されました。
TVerでは配信開始8日間の歴代最高の再生回数を記録し、注目を集めています。ユースケさんは同期芸人の誰もが認める一番の実力者です。今年はユースケさんのさらなる活躍に期待したいです。