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【中居正広問題】会見欠席&辞任せず“フジテレビのドン”日枝久相談役、労組時代に「女性社員の待遇改善」訴えた“意外な過去”
元「SMAP」の中居正広と女性との性的なトラブルで、フジテレビの幹部社員の関与が取り沙汰されている問題で、1月27日にフジテレビは臨時取締役会を開き、同日付で港浩一社長と嘉納修治会長が引責辞任した。
同日午後4時から開かれた“やり直し”記者会見は、10時間30分近くの長きにおよんだ。
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経済部記者はこう話す。
「会見では“フジテレビのドン”と呼ばれる、日枝久取締役相談役の去就についても質問が出ました。日枝氏が会見に出席しないことや、日枝氏の責任問題について問われた遠藤龍之介フジテレビ副会長は『日枝相談役がここに来る、来ないというよりも、今後、それぞれがどういう責任を取るかということが重要。それぞれの役員がそれぞれの責任を取るべきだと思っている』と回答し、日枝氏についても責任が問われる可能性はあるとの見方を示しました。
フジテレビは中居さんのトラブルにおいて、被害前に同社社員が中居さん宅で実施されたバーベキューに被害女性を呼んでいたことを確認した、と認めました。こうした“接待”まがいの行為が、もとよりフジテレビの体質に起因していると指摘が出ているだけに、日枝氏の会見欠席は批判されて、当然でしょう」
日枝氏は、早稲田大学教育学部を卒業後の1961年、報道記者を目指してフジテレビに入社した。1980年に42歳の若さで編成局長に就任し、1983年には45歳で取締役編成局長に就任している。以降、日枝氏は現在まで42年にわたって、同社の役員に就き続けている。
「1988年に、50歳で初の生え抜きとして、取締役社長に就任した日枝氏。それは、1982年から“視聴率三冠王”をフジテレビが獲得し続けてきたためでしょう。その後、フジは1993年まで、12年連続で三冠王を獲得することになります。
2001年には同社取締役会長兼CEOに就任すると、その後も黄金時代を牽引した日枝氏は、“ドン”と呼ばれるほどの絶大な権力を持っている、といわれ続けてきました」(前出・経済部記者)
そんな日枝氏にも、もちろん若きテレビマンの時代はあった。テレビ局関係者はこう話す。
「27日の会見を、フジテレビはCMなしで中継し続けましたが、じつは日枝氏も、1972年のあさま山荘事件の中継番組で、編成担当者として約250本のCMを飛ばし、9時間近く現場からの中継を流し続けた、という逸話があります」
今回の会見にも出席せず、ほかの役員とも違い、進退についても言及されていない日枝氏。“アンタッチャブル”な存在になっているのか――。
「日枝氏は最近、記者の直撃に無言を貫き、不愛想の印象がありますが、かつては自宅前での囲み取材によく応じていました。
いまでこそ“ドン”と言われていますが、労働組合にかかわったことで、何度も左遷を経験しています。まずは入社6年め、報道部の記者時代、労働組合結成の中心メンバーとして女性社員の25歳定年制に異を唱えるなど、会社側とやりあった結果、意に反して編成局に異動となったのです。
その後、労組の書記長になると、今度は広報部へ異動させられるなど、人事面においては、若かりしころは苦労されたとか」(同前)
遠藤副会長は、会見で港社長、嘉納会長以外の役員の責任を取る時期について「第三者員会の報告時期をひとつの目途として」という考えを示した。日枝氏はいま、何を思っているのだろうか。