デビュー30周年イヤーに突入した歌姫、相川七瀬の「BIG BANG対談」が、いよいよスタート! 第1回のゲストは…デビュー当時、不仲説が流れ、「テレビ局の廊下で殴り合いの喧嘩!」と、週刊誌に書かれたPUFFYの吉村由美。 当時の2人はリアル犬猿の仲!? それともフェイクニュース!? 「雑誌の対談は記憶にない。もしかしたら初めてかも」と言う2人から、その真実が明かされる――。
相川 あったね、そういうことが(笑)。
吉村 私と七瀬ちゃんが殴り合いになりそうなのを(大貫)亜美ちゃんが間に入って必死に止めた……って書いてあって。どこからそんな話が出てきたのか、不思議だったのを覚えてる。
相川 PUFFYはソニー・ミュージック、私はエイベックスで、ほぼ同時期にデビューしたから、レコード会社同士や大人たちが勝手にライバル視して、ピリついていたのは間違いないんだろうけど……。
吉村 そういうこと?
相川 たぶん。それがまわりまわって、想像に尾ひれがついた結果、“殴り合いの喧嘩”に辿り着いたんじゃないかなぁ。
――まったく身に覚えがないのですか?
吉村 ない、ない。七瀬ちゃんのほうがデビューが半年くらい早かったんですけど、『夢見る少女じゃいられない』のミュージック・ビデオを見た亜美ちゃんが、七瀬ちゃんを私だと思ったらしくて(笑)。
相川 亜美ちゃんが“裏切られた”って思ったんだよね。
吉村 そう。「嘘でしょう!? 私とデビューするって言ってたのに」って。その話を聞いていたから、初対面のときは“どんだけ似ているんだろう?”と、七瀬ちゃんの顔を見るのに一生懸命で、ひと言もしゃべっていないんじゃないかな。
――会った瞬間の気持ちは、覚えていますか?
吉村 まわりから「同じ顔だから」と言われすぎたのもあるんですけど、期待値が高くなりすぎていて、会った瞬間思ったのは……「似てないじゃん!」でしたね(笑)。それが最初で、次に会ったのが……。
相川 『ミュージックステーション』の楽屋だと思う。川合俊一さんが、ウチの猫が産んだ仔猫をもらってくれて、それをテレビで話していて――。
吉村 それを見た瞬間“これだ!”と思って、七瀬ちゃんに「仔猫まだいる? いたら私にも…」って、言ったんだよね。
相川 そんな控えめな言い方じゃなくて、「私も猫が欲しい!」って言ってた(笑)。
吉村 そう、そう。「今から見に来る!?」って誘ってくれたから、速攻、七瀬ちゃんの家まで一緒に行ったんだよね。
相川 それが、由美ちゃんとの縁の始まり。まさかそれから30年たったとは、夢にも思わないね(笑)。
■美容院も病院も……困ったときはすぐ電話
――ここは似ている、ここは違う、というところを挙げるとしたら?
吉村 お互いの性格は、全然違いますね。
相川 由美ちゃんは、こう! と決めたらテコでも動かない、みたいなところがあって。
吉村 よく言えば、意志が強い。そうじゃない言い方をすれば、頑固で融通が利かない、石頭(笑)。
相川 一度決めてしまうと、曲げないのは一緒なんですけど、私は決めるまでがものすごく長い。
吉村 私も、“どうしよう”って悩むけど……。
相川 由美ちゃんの場合、その“どうしよう”の滑走路がすごく短い。毎回「えっ、もう決めたの?」と驚いちゃう。
吉村 それはそうかも(笑)。
相川 雑誌のインタビューなんかで、由美ちゃんとはどういう関係ですかって聞かれるんだけど……ライバルではないし、親友ともちょっと違う関係……。
吉村 親戚に近い感じかな。
相川 同じ時期にこの世界に飛び込んで、たくさんの現場を経験したということでは、同志のような感覚もあるんだけど……そうね、親戚ね…。
吉村 親戚のおじさんとは、久しぶりに会ったとき一緒にこたつを囲んでも気にならないでしょう。七瀬ちゃんとの関係は、それに近い感じがする。
相川 確かに。昔のように頻繁に連絡を取り合って、悩みを相談し合うというのじゃなくて、たまに会っても気兼ねも遠慮もなく話せる仲かな。
吉村 何をやってもわかるような気がするし、許せるような感じもあって。
――相川さんが大学生になると言いだしたときも、驚かなかったですか?
吉村 この歳になって大学に行くというんだから、驚かなかったといえば嘘になりますけど、でも國學院大學って聞いて“あぁなるほど”と納得しましたね。七瀬ちゃんって、好きなことへの探究心と執着心が半端なくて。もう、なんでも知っているんですよ。「美容院に行きたいんだけど、どこかいいとこない?」って聞くと、必ずいいところを教えてくれるし、「体の具合が悪いんだけど」って言うと、いい病院を紹介してくれる。困ったときは、全部七瀬ちゃんです。
相川 最近、由美ちゃんからかかってくる電話は、ほぼそれだからね。だから、電話がないと、“今は元気なんだな”と安心していられる。
――相川さんは、デビュー30周年イヤーに突入。PUFFYも来年デビュー30周年を迎えます。振り返って自分にかける言葉があるとしたらどんな言葉をかけますか。
吉村 これまでも頑張ってきたとは思います。たぶん、きっと、おそらく、ですけど(笑)。でも、同時に“まだいけるんじゃないか”と思っていて。
相川 わかる!
吉村 でしょう。だから、自分に“頑張ったね”と声をかけるときが来るとしたら、やめるときだと思うんです。
相川 私は“まだやり残したことがあるでしょう?”という感じかな。
吉村 七瀬ちゃんがやり残したことって……具体的には?
相川 言語化するとかなわない気がして、言葉にはできないけど、今まさに、それをやろうと動きだしたところ。
吉村 夢っていうこと?
相川 うん。夢という言葉に置き換えてもいい、目標だと思う。それが今、自分の中にしっかりとあるから、ここまでの30年を振り返るよりも、この先の10年、20年、30年をしっかりと見据えていたいというのが正直なところかな。
吉村 七瀬ちゃんはよくソロでやってきたよね。私は無理。私には困ったときも迷ったときも、いつも亜美ちゃんが隣にいたし、どんだけでかいプレッシャーも、亜美ちゃんと2人で背負うことで、ここまでやって来られたんだと思っているから。
相川 私はグループに憧れてたよ。人数が多ければ表現力も広がっていくし、時間がたてばたつほど共有する時間も長くなっていくわけだから、それが羨ましいって思ってた。
吉村 私が“いいなぁ”と思っていたのは衣装かな。みんなキラキラのかわいい衣装を着てるのに、PUFFYは……。
相川 でも、ジーンズにTシャツがPUFFYには似合っていたし、それがPUFFYというブランドのひとつになってたもんね。
■「一度だけ七瀬ちゃんに怒られたことが……」
――これまで喧嘩したことは一度もないんですか?
吉村 ないと思う。性格もやってきた音楽も全然違うから、お互いがわからなすぎて喧嘩にならないんだと思います。
相川 PUFFYの音楽は、いつも遊び心がたくさん施されていて、聴いていてすごく楽しくなる。それと比べて私の歌は、すごくシリアスなものが多いじゃないですか。
吉村 PUFFYがポカポカした太陽だとしたら、七瀬ちゃんは研ぎ澄まされた刃のような月。それも、絶対的な月なんですよ。クールでカッコいいのに、しゃべるとおもしろい。
相川 おもしろいのはPUFFYも一緒やん。あの時代も今も、PUFFYのようなデュオはいない。唯一無二だよ。
吉村 あっ! 一度だけ七瀬ちゃんに怒られたことがあった。
相川 えっ!? 嘘? いつ?
吉村 七瀬ちゃんが渋谷公会堂のライブを観に来てくれたんだけど、終わった後電話がかかってきて。「ステージでずっと腕なんか掻いたらあかんやろ。もうちょっと緊張感を持たなあかん!」って怒られて。
相川 あったね。「だって、乾燥しててん」と言い訳するから、「クリームを塗って!」と言った記憶がある。でもあれは、子供を叱るような感じで、「ちゃんとしなさいよ!」という感じかな(笑)。
――先ほど吉村さんは「まだいけるんじゃないか」、相川さんは「まだやり残したことがあるでしょう? という感じ」と、おっしゃっていましたが、この先、自分にかける言葉があるとしたら?
相川 もう休む必要はなしですね。結婚して子育てをして、親になってすごく楽しかったし後悔もない。だけど、アーティストとしてはお休みした時間もみんなより長かった。なので、“これからは目いっぱいいくよ!”という感じかな。
吉村 あれこれ考えていることはあるんだけど、“これです!”とお話しできることはまだないかな。
相川 大人になってるね。若いときは、思いついたことをすぐ口にして後悔したりもあったからね。(笑)。
吉村 そう。だから、亜美ちゃんとも「もう来たものをがむしゃらにやるんじゃなくて、PUFFYとして責任が取れないことはやめよう」と、話しているんだけど、これがなかなか難しくて……。
相川 10周年、20周年は勢いでやってこられたけど、30周年はそうはいかない重さがあるね。歴史みたいなものを見せると同時に、進化も見せたいというか。
吉村 私も亜美ちゃんもキャラは濃そうに見えるけど、個性が際立っているかといえばそうでもない。だからこそ、何にでもなりたいというのが強くあって、自分たちでこうと決めつけず、幅を狭めずにいこうとは思っているんだけど……。
――最後にマル秘エピソードのなかから、“もう時効かな”と思えるお話をひとつだけ教えてください。
相川 由美ちゃんの歴代の彼氏は、全員に会ったことがありますとか(笑)。
吉村 はい。存じ上げています……じゃなくて、存じ上げられています(笑)。
相川 ほかには……。
吉村 もう、このへんにしておこうよ。亜美ちゃんが、いつか私の暴露本を出すって張り切っているから(笑)。3冊は書けるって言ってた(苦笑)。
相川 じゃあ、私は上下巻で(笑)。
あいかわななせ
1975年2月16日生まれ 大阪府大阪市出身 1995年シングル『夢見る少女じゃいられない』でデビュー。現在までのCDのトータル売り上げは1200万枚に上る。2020年國學院大學神道文化学部を受験し合格。卒業後、同大の大学院に進む。2024年11月6日、ミニアルバム『SPARKLE』をリリース、デビュー30周年イヤー幕開けを告げた
よしむらゆみ
1975年1月30日生まれ 大阪府寝屋川市出身 1996年、奥田民生プロデュースによる『アジアの純真』でデビュー。『これが私の生きる道』など、次々にヒットを連発。全米NO,1アニメチャンネル『カートゥーン・ネットワーク』で、PUFFYを主人公にしたアニメ番組『ハイ!ハイ!パフィー・アミユミ』が大ヒット。日本のポップ・アイコンとして、世界を舞台に活躍している
写真・中村 功 取材&文・工藤 晋
スタイリスト・藤井晶子(吉村)
ヘアメイク・久保フユミ(相川)、中山友恵(吉村)
衣装・ACUOD(相川)