エンタメ・アイドル
一青窈、15年続ける「チャリティライブ」の背景に “喪失経験”…名古屋からの帰路で目撃された大ヒット歌手の「偉ぶらない姿」
1月28日、名古屋市の名古屋大学医学部附属病院で「チャリティライブ」をおこなったのは、歌手の一青窈だ。
入院している子どもたちやその家族、病院関係者など計150人に向けて、歌唱。その姿を地元テレビ局や地方紙などが翌日には報じていた。
「デビュー曲の『もらい泣き』や、2004年の大ヒット曲『ハナミズキ』だけでなく、アニメソングなどのカバーリクエストにも、その場で気軽に応えて披露。観客は彼女の持ち前の伸びやかな歌声に聞き入っていました」(地方テレビ局のスタッフ)
関連記事:2024年「年女で48歳」に驚く女性有名人 2位・観月ありさを抑えた「圧倒的な透明感」の1位は?【500人アンケート】
その夜、名古屋駅の新幹線ホームでは、ライブを終えた満足げな一青の姿があった。マネージャーの女性と一緒に東京に帰る途中だったようで、一青は「みなさん、喜んでくれてよかった~」とマネージャーと談笑していたという。
「黒のダウンコートに、紫のマフラーを巻いていた一青さんに気づいた人はほとんどいなかったです。新幹線に乗り込む際には、謙虚そうな様子で車内に乗り込んでいましたね。自分で重そうな荷物も持っていて、有名な歌手なのにまったく偉ぶらない姿に感心しました」(居合わせた乗客)
その見た目からクールな印象を持たれがちの一青だが、じつは長年、チャリティライブをおこなうなど、人情深いのだという。
「じつは歌手デビューの前からチャリティライブをおこなっているんです。彼女のまさにライフワーク。そもそも、2002年に『もらい泣き』でデビューするきっかけも、福祉イベントで歌っていたところをスカウトされたからです。一青さんは、今も長期入院などでライブの参加が難しい状況にある全国の人たちのもとに駆けつけ、音楽の感動を届けています」(芸能プロ関係者)
病と闘う人々に一貫して寄り添う姿勢を見せているが、その背景には彼女の生い立ちが関係しているという。
「台湾人の父親と日本人の母親の間に生まれた一青さんですが、小学2年生のときに父をガンで亡くしているのです。それ以降、母の姓である一青を名乗るようになりました。ところが、今度は高校生のとき、母もガンで亡くしてしまうという悲劇に見舞われました。
全国を回り、チャリティライブを続ける “情熱” の裏には、困難に立ち向かう本人だけでなく、その家族や医療従事者の元気の後押しになればという思いがあるそうです」(芸能ジャーナリスト)
思わず “もらい泣き” したくなる過去があった。