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なべおさみ、吉本退社は「安倍晋三元首相」「大﨑洋元会長」恩人の喪失が理由だった!85歳での“新天地”を後押しした「亡き妻」の言葉

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記事投稿日:2025.03.29 06:00 最終更新日:2025.03.29 18:59
出典元: SmartFLASH
著者: 『FLASH』編集部
なべおさみ、吉本退社は「安倍晋三元首相」「大﨑洋元会長」恩人の喪失が理由だった!85歳での“新天地”を後押しした「亡き妻」の言葉

85歳で新事務所に移籍した、なべおさみ(写真・長谷川 新)

 

「もう一花咲かせたい」

 

 こう話すのは、誰もが知る大御所コメディアンのなべおさみだ。現在85歳の彼がこのように話すのには、2016年10月に逝去した妻・笹るみ子さんにまつわる深い理由がある。

 

 なべが当時のことを振り返りながらこう話す。

 

「自分が死んで、女房にあったときに『俺はしっかりやったろ?』と言いたい。それはね、女房が入院して、病室で会ったときの最後の言葉が『パパ、あなたは“なべおさみ”よ。なべおさみは、なべおさみですからね』ってこれだったんです。

 

 

 だから、この女房の言葉を成就させて『俺、なべおさみだったろ。やったぜ。なべおさみを輝かせてね、こっちに来ましたよ』って言えるように、女房に会いたいんです。だから、もう一度、仕事をやるんです」(以下、断りのないものは、なべの発言)

 

 実際になべは、新たな一歩を踏み出している。じつは、2024年12月末をもって、それまで所属していた「吉本興業」を退社し、2025年1月からは新事務所の「オフィスコットン」で活動をおこなっている。

 

 じつは、なべが吉本に所属していた期間は長い芸能人生で2度ある。

 

「最初に吉本に所属したのは、2002年ごろでしたね。その前、僕は『プロダクション尾木』で面倒を見てもらっていて、仲間由紀恵さんが主演した『ごくせん』(日本テレビ系)に出演させてもらったりはしたんだけど、正直、くすぶっている状況だった。

 

 そのときに、吉本の林(裕章)社長が、尾木(徹)さんに『なべさんをうちにくれませんか』ってかけあったらしいんですよ。それで“口約束”が成立していたみたいなんだけど、肝心の僕に伝え忘れていて、僕が尾木さんに『俺、何の仕事もないんだけど』って聞いたら、『え、なべさんは吉本に行ったんですよ』って(笑)。

 

 その後、林さんに会って話したら、大阪のよしもと新喜劇の東京版『東京新喜劇』を立ち上げて、僕に座長をやってほしいという話だったんです。それならと思って、僕も『吉本行くわ』って言ったんですけど、その後、吉本でも2年間、仕事がろくにないんですよね」

 

 なべが聞いたところでは、吉本は当初、「横山やすし・西川きよし」の元マネージャーの木村政雄氏を彼の担当にしようと考えていたという。ただ、木村氏が2002年10月に吉本を退社し、自身の事務所を設立。それで、なべも“宙ぶらりん”になってしまったのだ。

 

「その事情を聞いて、僕も『わかった。じゃあ、俺も辞めるよ』って言って、吉本を辞めたんです。これが1回めの吉本時代。それで、2回めの所属のきっかけは、2019年4月末に1本の電話がかかってきて、電話先で『なべさん、奥さんが亡くなって大変でしょうけど、ゴールデンウィークは何をしているの?』と聞いてくる人がいたんです。

 

『春の海 ひねもすのたりのたりかな』と。与謝蕪村の句みたいにのんびりですよ、といった話をしていたら。電話の相手は『元気に仕事してくださいよ』みたいなことを言うんです。『あなた、そうは言うけど、俺、仕事なんかまったくできないんだよ。大きなプロダクションかなんか知ってて、引き受けてくれるとこあったら入れてよ』なんて言い返したんです。

 

 すると2日後、『ローマにて』とメールが来て、『頼んどきましたよ』とあった。ゴールデンウィークが明けるとすぐ、『吉本でございますけど、お話は伺っています。東京事務所においでいただけませんか』って、岡本(昭彦)社長から電話がかかってきた。じつは、最初の電話の主は安倍晋三さんからでした」

 

 もともと、安倍家には古くから夫婦で訪問するなど、なべは父親の晋太郎氏とも深い親交があった。そのため、なべの仕事がない状況や“独り身”になったことを心配して、吉本の大﨑洋会長(当時)と話し合ってくれたのだという。

 

「それで、吉本に行ったら、岡本社長をはじめ、藤原(寛)副社長までもが『私どもは受け入れますよ』と。それで契約したらね。“最低保障”ってのを決めてくれたんですよ。仕事がなくても、これくらい払いますという。これで、ある程度は生活ができちゃうんですよ。

 

 ただ、(2022年7月に)晋三さんも亡くなった。さらに、大﨑さんも辞められた(2023年4月に会長を退任)。そしたら、吉本に僕の居場所なんて……。これは吉本にいることが失礼だなって。自分の人生にけじめつけなきゃダメだなって思ったんです。これも新天地への動機として大きいかもしれない」

 

 さらに追い打ちをかけるように、ある“噂”が飛び交っていたという。

 

「いつだか『なべおさみが老人ホームに暮らしている』というネットニュースを見てしまったんですよ。その記事では、驚いたことに『“娘”のなべやかんが面倒を見ている』って書かれていて、芸人をやっている息子が娘と間違えられるくらい、僕は今の知名度はその程度なんだなと……。それだけ、僕はラジオにもテレビにも元気な姿を広く示せていないなというのを自戒したんです。

 

 それで少し『今後を考えないと』とも思っていて。吉本に入って安心してたけど、『俺、飼い殺しじゃないか。仕事の面倒を見てもらえてないじゃないか』と強く思っていたんです。そんなとき、吉本から『契約について話したい』と連絡がありました。2024年9月のことです」

 

 吉本と話し合う前日、なべは息子とともにトークライブに出演していた。そこでつい、抱えていた“思いのたけ”をぶちまけてしまった。

 

「僕は呼ばれたライブで、ほとんど2時間半、一人で喋り倒してしまったんですよ。そのときに『明日、吉本に呼ばれてるけども、僕はおそらく、吉本を辞めるよ。吉本に言っちゃうと思うね』と話したんです。

 

 それで翌日、吉本に行って、向こうから『来年の契約に関してですけど……』と言われた瞬間、僕のほうから『来年の契約はしません』とハッキリ言いました。『年内いっぱいで辞めさせてください』と宣言したんです。それで後日、吉本も辞めるための契約書を持ってきてくれて、はんこを押しました。

 

 そんなこんなだったので、家に帰るとやはりショックでね、寝ていたんです。すると、電話がかかってきて『あの、私とやりませんか。じつは私、昨日のライブに行ってたんですよ』と言うんです。これが今のオフィスコットンの社長だったんですね。」

 

 社長は熱意ある人で、2025年1月からのオフィスコットンへの所属を決めた、なべだったが、これまでの経験から“苦戦”を予想していたという。

 

「過去にもそういう時期がありましたから『所属しても半年ぐらいは仕事にならないだろう。そうすると生活できないな』と僕は考えていました。なので、新天地が決まった瞬間から、僕は断捨離を始めたんです。

 

(マルク・)シャガールの絵画とか、マリリン・モンローやフランク・シナトラ、サミー・デイビス・ジュニアといったスターのサインが入った額装とか、『なべおさみがカネに困って売った』と表に出るとまずいものも三重に住んでいる知人に一度預かってもらい、彼に頼んでほとんどのお宝を僕は売りに出したんです。生活費のために。

 

 それくらいの覚悟で、吉本辞めて、新たに踏み出そうと思ったわけですね。いま出たい番組は『徹子の部屋』(テレビ朝日系)。あと、レギュラー番組を持ちたいですね。やっぱり、週に何度か顔を出していたいですよ」

 

 なべは言う。「芸能人はサラリーマンじゃない。定年はないし、リタイアもない。ずっといるんだよ」。

 

 この言葉のとおり、まだまだ輝く姿を見せてくれるはずだ。

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