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志穂美悦子、日本初のアクション女優がシャンソン歌手に転身!「歌で言霊を届けたい」芸名にこめられた「初心」とは

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記事投稿日:2025.04.18 06:00 最終更新日:2025.04.18 07:33
出典元: 週刊FLASH 2025年4月29日・5月6日合併号
著者: 『FLASH』編集部
志穂美悦子、日本初のアクション女優がシャンソン歌手に転身!「歌で言霊を届けたい」芸名にこめられた「初心」とは

「“週9日” は練習する」と語るほどシャンソンに夢中な志穂美悦子

 

 テレビや映画に活躍の場を持ちながら、異業界に進出した人気者たち。伝説のアクション女優志穂美悦子(69)は、いまもう一つの芸名「鬼無里(きなさ)まり」を名乗っている。2024年6月、シャンソン歌手として新たなデビューを飾ったからだ。

 

「シャンソンとの出会いは22〜23歳ごろまで遡ります。銀座のシャンソンの殿堂で、いまはもうない『銀巴里』に通っていた時期があるんです。そこで歌っていらした金子由香利さんの歌声に衝撃を受けました。『ろくでなし』や『サン・トワ・マミー』なども、撮影の打ち上げなどでよく歌っていました。

 

 女優時代の記憶があまりないんですけど、私も何枚かレコードは出させていただいているんです。そのころは、映画やテレビドラマの主役が、主題歌を歌わせていただく時代でした。シャンソンはあくまで自分を癒やす音楽でしたし、当時は畏れ多くて、ステージで歌おうなんて思いもしませんでしたね(笑)」

 

 

 2023年6月、あらためてシャンソンを歌いたいと思ったきっかけがあった。

 

「近所の海辺で愛犬を散歩させている途中、海に向かって『ろくでなし』を口ずさんでいると、ふと『“自分の時間” を生きてみたい」という気持ちが湧き上がってきたんです。もう3人の子どもはすでに巣立っていましたしね。

 

 思えば、当時の私と同じく、67歳で父は亡くなっています。亡くなった父の年齢が来たとき、歌を歌う機会があったんです。これは自分でも不思議なのですが、ちょうどJAC(ジャパンアクションクラブ)の先輩たちのイベントや、古くからの友人のイベントなどに呼ばれ、まるで天から『歌え! やれ!』と促されているような感覚があったのです。

 

 それは、16歳のときに『アクションの道に進め!』という “声” を聞いたときとまったく同じ感覚。不思議ですが、それならいまの私の心境にあう歌を歌ってみようと。いろいろなシャンソンを聴くようになり、レッスンにも通うようになりました」

 

 そこから、さらに志穂美の背中を押す出来事が続いた。

 

「長年おつき合いいただいている音楽評論家・湯川れい子さんのすすめで、人前で歌うことになったんです。そして、コンクールに挑戦して賞も頂戴し、ますます拍車がかかりました。

 

 私の性分からして、やるからには趣味で終わらせたくないという思いでいましたね。そこから、コンサートの開催やレコード会社からリリースのお話までいただくようになりました。

 

 私は本能の赴くまま、やりたいと思ったら突き進むほうです。

 

 日本初のアクション女優を目指したのは、中学生のころにドラマ『キイハンター』(TBS系)を見て、アクションをやりたいと思ったから。その一心で、16歳で上京しました。ビルの5階から飛び降りたり、ヘリコプターやロープウェイにぶら下がったり、なんでもやらせていただきました」

 

 志穂美、いや鬼無里は、3月11日、銀座のシャンソニエ「蛙たち」における合同リサイタルに昼夜出演。満場の客を前に、情熱的な歌声を披露した。バラードを歌っても身振り手振りがともなうのは、さすがアクション女優。本誌記者は、その気迫に圧倒された。

 

「歌の先生からは『肩に力が入りすぎ』と言われることもありますが、いままで力を抜いて歌えたことがない(笑)。

 

 私は、シャンソンのなかでは革命の歌が好きなんですよね。たとえば、第2次世界大戦中に処刑されたパルチザンたちに捧げた『赤いポスター』。原曲は淡々としているんですけど、私は次第に、全身で語りかけるようになってしまうんです(笑)」

 

「鬼無里まり」という芸名の由来は、長野県にある村の名だという。

 

「『鬼がいなくなった里』という、美しさと強さが共存する名前にとてもインパクトを受けたんです。名の『まり』は、私が初めてレギュラー出演した『キカイダー01』(現テレビ朝日系)の役名、ビジンダー・マリから取りました。初心忘るべからず、です。

 

 これまでも女優復帰のお誘いがなかったわけじゃないのですが、結婚や出産、子育ても大きな挑戦。『やればやるだけ、昨日の自分よりできる』ということを日々痛感していましたから、ずっとお断わりしてきました。

 

 それでもね、死ぬ間際ではアクション女優でいたいと思っていますよ。魔女や妖怪の役を演ってみたい。私は人に驚かれるようなことが好きですから(笑)。

 

 80歳、90歳になっても『こんなに動けるのか!』と思われたい。でも、それはそういうときが来たら。機が熟してからでいいと思っています。いまは、歌で言霊を届けたいんです」

 

取材協力・スタインウェイ&サンズ東京(東京都港区)
取材/文・鈴木隆祐

 

※2025年5月4日に「JZ Brat SOUND OF TOKYO」(東京都渋谷区)でおこなわれるソロライブは完売。7月7日、シャンソンの祭典「パリ祭」(東京・文京シビックホール)にゲスト出演

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