エンタメ・アイドル
『鳩子の海』『Gメン’75』の藤田三保子、40代で始めた俳人、シャンソン歌手、画家として活動中「趣味が仕事になって幸せ」

東京・浅草での「助六句会」を主宰する藤田三保子(写真・松沢雅彦)
テレビや映画に活躍の場を持ちながら、異業界に進出した人気者たち。女優の藤田三保子(72)は、1974年のNHK朝ドラ『鳩子の海』のヒロインとして人気を博した。
「『鳩子の海』のときは21歳でした。平均視聴率は47.2%(歴代4位)。なのに、子役の斎藤こず恵ちゃんから私に代わったら、『全然似てない』って、なぜか私のほうが叩かれたのよ(笑)。クランクアップ後に海外ロケに行ったら、 “鳩子、傷心旅行へ” なんてね]
関連記事:【SDN48から作家に】大木亜希子、地下アイドル時代は「着ぐるみを着てスーパーでお菓子配り」グループ解散後のバイト生活明かす
『Gメン’75』(TBS系)での紅一点の女性刑事も忘れ難い。
「映画顔負けの脚本を、一台のカメラで撮るなど、スタッフの気骨が漲っていました。“西の『必殺』(朝日放送)、東の『Gメン』”と言っては、視聴率を競い合っていましたね。1980年の『ミラクルガール』(旧東京12チャンネル)など、引き続きアクション物への出演もありました」
「女優になる前は、勉強はまるでしなかったんだけど、私、物覚えがいいのかなあ(笑)。みんな40代で始めて、油絵とシャンソンは、直後から発表の場を持たせてもらっています。俳句は、銀座で開いている句会が25年め。2010年からは、幇間の櫻川米七師匠とのご縁で、浅草で『助六句会』も主宰しています。
とにかく、『Gメン』で昼夜なく走りまくっていたでしょ。そのストレスでもないでしょうが、27歳で膠原病を発症したんです。女優としての活動がままならなくなったぶん、創作意欲が趣味に向かったのかしら。でも、今はそれが仕事になっているのだから、幸せだと思っていますよ」
ふじたみほこ
1974年、本名の藤田美保子としてデビュー。俳号は、山頭火ならぬ“山頭女(さんとうじょ)”。今年は『Gメン’75』放送から50周年で、関連イベントを予定。
※4月23日には赤坂B-flatでシャンソンライブを開く
取材/文・鈴木隆祐