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大ブレイク中の滝沢カレン「竹内結子」に憧れて女優を目指した
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2018.02.19 11:00 最終更新日:2018.02.19 11:00
2017年の出演テレビ番組数259本。滝沢カレンは、瞬く間に日本中に知られる存在になった。が、そこに至るまでには知られざる苦悩の日々があった。
「小さいころからずっと、バレリーナになりたかったんですけど、ある日『ランチの女王』という素晴らしいドラマを観まして。(主演の)竹内結子さんに憧れて、女優さんをやりたいって思いました」
その憧れに近づくべく、彼女は習っていたバレエを「スッパリ」やめた。そして、渋谷の「スクランブル交差点っていう交差点」でスカウトの目にとまり、芸能界入り。2008年、オーディション「ミスセブンティーン」でグランプリに選ばれ、モデルとなったが……。
■芸能界入りするも仕事がなくて
「全然仕事がなかったです。よくて月に1回、雑誌に出られてもモノクロページばっかりで。でも、そのときは高校生だし、ディズニーランドに行くのと渋谷でプリクラ撮るのが命みたいな感じだったので、プライベートが楽しめて、逆にいいなって思っていました」
当時、モデルの仕事はどこかバイト感覚だった彼女。自分の状況に危機感を覚えるのは、2011年4月、高校を卒業し、「JJ」モデルになってからだった。
「最初はよかったんです。海外ロケに行けたり、私服紹介の企画も3回やったり。それで満足して、大きなソファに座れたと思って動かなかったんですよ。成長しようとしなかった。周りの変化に気づけず、取り残されちゃったんです」
それを物語る、決定的な出来事が起こる。「JJ」の表紙に人気のモデル5人を起用した号で、彼女は選ばれなかったのだ。
■ゼロからの再スタート。そして大ブレイク
「焦りましたよ。ほかに何もないし。だから、編集部に行って編集者さんに自分の何が悪いか全部聞いて。そこからがスタートでした」
まず、「胸元ギリギリのTシャツとか、雑誌が取り上げているものと真逆だった」私服をすべて捨て、髪型も変えた。ほかのモデルのポージングを取り入れるべく、雑誌に隈なく目を通した。
その成果は、少しずつ表われる。事務所から送られる先々のスケジュールが、「今月は1本、来月も1本。でも、次の月は2本、それが3本になり……っていうふうに」埋まるようになったのだ。
そして、2015年6月、『踊る!さんま御殿!!』出演を機に、独特の言語感覚が脚光を浴びる。母親がロシア語の通訳をしており、幼少期に周りに外国人が多かった環境がそれを育んだといわれているが、本人に言わせると違うらしい。
「伝えたいことがありすぎて焦っちゃうせいというか。あとは一人っ子っていうのが大きいかな。ヘンとか片言の日本語って言われたときはどうしようかと……。
けど、ナレーションのお仕事もいただけるようになったし、気にせずやろうと思えるようになりました。いまは毎日本当に楽しくて。これからも止まらずに、新しい自分を見せたいなっていう感じです」
たきざわかれん
25歳 1992年5月13日生まれ 東京都出身 2008年、「ミスセブンティーン2008」でグランプリに選ばれる。2011年より「JJ」の専属モデルに。多くのバラエティ番組に出演し、「カレン語」と呼ばれる独特な言い回しや、四字熟語でのあだ名づけなどで人気を博す。自身初のスタイルブックは「すべてのページを何度も何度も話し合い、どのページも気持ちを存分にこめてこだわりました!」とのこと。また、日めくりカレンダー『滝沢カレンダー』がSDPより2月15日に発売。最新情報は、公式Instagram(@takizawakarenofficial)にて
写真・金谷章平
(週刊FLASH 2018年2月6日号)