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「井上陽水奥田民生」結成の裏にあった「作家バー」での衝撃事件

エンタメ・アイドル 投稿日:2018.02.27 20:00FLASH編集部

「井上陽水奥田民生」結成の裏にあった「作家バー」での衝撃事件

 

 2月9日放送のラジオ『大槻ケンヂのオールナイトニッポンPremium』(ニッポン放送)で、大槻ケンヂが、かつて歌手・井上陽水から怒られたエピソードを明かした。

 

「陽水さんがどこから調べたのか電話かけてきた。留守電の時代だったから、『あなたの大先輩の井上陽水です。あなた、ちょっとデーモン(閣下)とか、奥田民生知ってる?』で(留守電の尺が)切れちゃった。2件目に『♪誰も知らない夜明けが明けた時(と『リバーサイドホテル』を歌って)あなた、大先輩が留守番電話入れているのに、途中で切るのは後輩として失礼……』でまた切れちゃった。3件目は『あなたね、いい加減にしなさいよ。あなたの大先輩の井上陽水が電話しているのに』でまた切れた(笑)。留守電(の仕組み)を知らなかったのかな」

 

 筋肉少女帯は井上の『氷の世界』をインディーズ時代からカバーしており、1992年にシングル化しているが、接点はなかった。それにも関わらず、急に電話がかかってきたというのだ。その後のエピソードは、2014年8月27日放送のラジオ番組『デーモン・オーケンのオールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送)でも明かされている。

 

 大槻とデーモンが井上の家に遊びに行くと、井上は「奥田民生くんも一緒に呼べないかな」と依頼。そこで次回、大槻、デーモンは奥田を連れて、陽水と東京・新橋にある「作家バー」に向かった。そのバーでは、作家の野坂昭如氏が興奮して「とある人」にハイキックするというトラブルが発生。そこに同席していたタモリが早稲田大学の後輩であるデーモンに「後輩、止めにいけ!」と言い、デーモンが野坂氏を後ろから羽交い締めにしたという。

 

 こうした交流の後、井上と奥田はユニットを結成。1997年に「井上陽水奥田民生」名義でシングル「ありがとう」でデビューした。だが、デーモンは「我々はダシに使われた」と振り返っていた。

 

 後輩アーティストとの共演を望んだ井上の姿勢を、コピーライターの糸井重里はウェブ『ほぼ日刊イトイ新聞』でこう分析していた。

 

「あの人、時々、いまの自分が、どのくらいの力量を持っているのかを、知りたくなるんですよね。で、発作的に若い奴に会いたくなったりする。奥田民生くんと大槻ケンヂくんとデーモン小暮と、いっぺんに呼んで会ったみたいだよ、前に。あと、みうらじゅんにちょっと会って、『そのうちまた』なんて言っていたら『・・・いま、近くにいるんだけどさぁ』って陽水からの電話が入ったとか・・・。それって、勝負師の手合わせみたいな気分が、根っこにあるんじゃないかしらね。伝説の手塚治虫さんのように。新人のうちの自分の認めるやつと、剣をまじえたい」

 

 浮世離れした存在の井上だが、後輩のことを気にかけ活動の原動力にしてきた様子。井上は2010年のアルバム『魔力』が現状最後のリリースだが、そろそろ新作も聴いてみたいところだ。

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