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元テレ朝・松井康真アナ、模型メーカー「タミヤ」の研究顧問に…人との出会いを大切にしたら、仕事もスクープもやってきた

お気に入りのタミヤ「1/48バッファロー戦闘機」を手にした松井康真
参院選ではフェイクニュースが飛び交い、SNSが世論を揺さぶった。そんな今、テレビでニュース報道を支えた人気キャスターが「現場」から語る。「バズる」よりも大切なのは、カメラの向こうに「伝える」矜持なのだ!
「定年後は、ウチを手伝ってくれ」――。7月18日に90歳で亡くなった模型メーカー・タミヤの会長・田宮俊作さんは、かつてテレビ朝日の現役アナウンサーだった松井康真(62)にそう声をかけていた。
「社交辞令と思っていたので、まさか現実になるとは思っていませんでした。でも、あのひと言があったから今の自分があります。6月お会いしたときはお元気でしたから、訃報には言葉が出ませんでした」
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田宮さんの誘いで、2024年に同社の模型史研究顧問に就任し、タミヤ歴史館のリニューアルに取り組む松井。大切にしてきたのは、「人と人との出会い」だった。
「久米宏さんとの初対面は、本社のエレベーター前でした。『目標にしています』と緊張しながら頭を下げたら、『勝手に目標にされるのは迷惑だよ』と、プイッと後ろを向いて行ってしまったんです」
入社2年めで『ニュースステーション』に抜擢された松井(1987~1991年出演)。朝岡聡の後任として、スポーツコーナーを担当した。
「思い返せば、久米さんへの僕の挨拶はとおり一遍で、言葉が薄かったんです。朝岡さんは僕の4つ上で、ニュースを読む技術はもちろん、久米さんにイジられたときにポロッといい切り返しをしたり、完璧でしたね。
久米さんにはその後、叱られたことがありません。想像どおりのことを絶対に言わず、それでいて奇をてらわない。唯一無二の天才でした」
松井は真摯に地道に、取材対象との距離を縮めていった。
「西武の清原和博選手と、先輩と3人で六本木で飲んだときのこと。2人とも潰れてしまって、僕が介抱して、タクシーに乗せたんです。その2日後、契約更改の会見後に清原選手が僕にヘッドロックしてきて、本当の年俸をこっそり耳打ちしてくれた(笑)。うちだけのスクープでした」
松井は学生時代からプラモデルを愛好し、模型製作の腕前も一級。その特技が、報道の現場でも生きた。
「北朝鮮の万景峰(マンギョンボン)号や、福島第一原発の建屋の模型を手作りすると、『ニュースステーション』などで何度も使われました。デジタルの時代でも、アナログな表現のほうが視聴者に伝わることがあるんです」
そんな松井のプラモ愛を、田宮さんは見抜いていたのだ。
「プラモデルもアナウンスも、結局は『人』がつくるもの。誰と向き合い、何を残すか。その蓄積が、人生になるんだと思います」
松井康真
1986年にテレビ朝日に入社し、アナウンサー、報道記者に。プラモ所有数は4000個以上。現在は地元・富山県南砺市の地域創生に取り組みつつ、東京との2拠点生活を送る
写真・木村哲夫