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明石家さんま「パチプロ」として暮らしていた東京貧乏時代

エンタメ・アイドル 投稿日:2018.03.21 16:00FLASH編集部

明石家さんま「パチプロ」として暮らしていた東京貧乏時代

 

 明石家さんまが3月4日放送のラジオ『明石家さんま オールニッポン お願い!リクエスト 私の東京物語』(ニッポン放送)でパチンコへの思いを明かした。

 

「高校のときに小遣いをあまりもらえないので、授業抜け出してパチンコに行って、サッカー部の部活の前に戻ってきて、いろんな物を買ってきてあげるのが決まりになっていた。

 

 なんでそんな勝てたかと言うと、父の水産加工業の会社に勤めていた人が辞めて、パチプロになっていた。その人に『パチンコ勝ちたいのか?』と言われて、釘を教えてもらった」

 

 そのパチプロの知人に当時のパチンコの要である釘の良し悪しを伝授してもらったというさんま。芸人になってからもパチンコで生活していた時期があったという。

 

 関西で笑福亭松之助に弟子入りしたが、東京で一旗揚げようと女性と上京して「駆け落ち事件」を起こす。当時、東京・小岩で8000円の家賃の部屋に住んでいたころのエピソードも話していた。

 

「あまりお金持ってきてないから、パチンコで数カ月暮らしていた。共同便所で風呂なし。11時過ぎると銭湯に入れなくて、冬に水道の水で頭を洗って、死ぬかと思った」

 

 その後、大ブレイクし、女優・大竹しのぶと結婚。1992年に離婚するが、養育費の一括支払いを思い立ち、競馬で一攫千金を狙ったが、47連敗したという。その話を2014年8月4日放送の『痛快!明石家電視台』(MBS)で明かしている。

 

「47連敗という記録を作ってもて、トータルしたらとんでもない金額になるわ。たぶん小ちゃな家は買えたと思うわ」と数千万単位の損失を出したと振り返った。

 

 パチンコは最近はやっていないようだが、競馬は2003年、2004年のJRAのイメージキャラクターを務めるなど、縁がある。大成する男はギャンブル好きが多いのかもしれない。

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