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川中美幸が語った亡き母の言葉「自分の人生を生きや」

エンタメ・アイドル 投稿日:2018.03.25 20:00FLASH編集部

川中美幸が語った亡き母の言葉「自分の人生を生きや」

『写真:アフロ』

 

 歌手の川中美幸が、3月13日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演。2017年10月に亡くなった・久子さんについて語っていた。

 

 心筋梗塞で倒れる88歳まで、自ら経営するお好み焼き店で働き続けていたという川中の母。番組では、テレビで取材を受けた80歳のときの映像を紹介していた。

 

 映像を見ながら川中は「手際がいいですよね。卵なんかも片手でポンポンやりますからね。うちの母はお仕事してるときが一番輝いていました。一生懸命働いてる姿が私のエネルギーの源ですね」と語る。

 

 お店に出られなくなってからも、川中のファンたちが「お母ちゃんを囲む会」を開催し、1カ月に1回はお店で交流していたという。

 

 母が倒れ、介護のため仕事をセーブするようになった川中。司会の黒柳徹子が「お母様が寝言で『ビール』って。それはなんだったの?」と質問すると。

 

「母の隣のベットで寝てたんですけど『いらっしゃいませ』『また来てね』『ビール冷やさなあかんねん』って、むくっと起き上がろうとする。お母さんはずっとお店のことが気になってたんだなあと。母に『元気になったらどうしたい?』って聞くと、『働きたい』って」

 

 川中は、久子さん夫妻が営んだお好み焼き屋の看板娘として育った。1980年に発表した『ふたり酒』が大ヒットし、一躍人気者に。母はそんな娘のためにこんなサポートまでしてくれたという。

 

「『ふたり酒』が売れ始めたころに、全国からお手紙をいただきますよね。私がちゃんと返事を書けなかったので、母が知らない間に<美幸ちゃんは、いま忙しいので川中美幸の母ですけども、お返事を書きます>というのを出してたんです」

 

 介護を開始して4年後、92歳で久子さんは亡くなったが、直前にこんなことがあったという。

 

「“きみこ”っていうのが(私の)本名なんですけど、ヘルパーさんもいらっしゃるのでずっと “美幸ちゃん” って呼んでたんです。亡くなる3カ月前からはもう本名でした。2日前は『きみこ、きみこ』って16回呼んだんです」

 

 さらに川中は「私も忙しかったし、母も仕事を持ってたし、なかなかゆっくりする2人の時間もなかった。この3、4年は本当に濃い時間を母ととれた。まだまだ悔いがありますが、いい時間を持たせてもらった」と明かしていた。

 

 番組で「慈愛に満ちた母でした」と久子さんを偲んだ川中。母から受け取った「お母ちゃんのことはもういいから自分の人生を生きや」の言葉をもとに、これからも歌い続けていく。

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