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差し押さえの危機も…炎上した「光進丸」と加山雄三の半世紀
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2018.04.04 16:00 最終更新日:2018.04.04 16:00
歌手の加山雄三(80)が、4月2日、自身が所有する船である「光進丸」が炎上した件について会見を行った。
沈痛な面持ちで登場した加山は「長いこと私を支えてくれて、多くの幸せを与えてくれた。あの船からたくさんの曲が生まれている。自分の半身を失ったくらい。長い間の相棒がこんな形で消えていくというのは、本当につらいです」と発言。
消防や地元関係者、ファンに対しても「ご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」と謝罪した。
記者から「光進丸」でのエピソードを聞かれると、「思い出は尽きないですね。作ったときから家族団欒では特別な場所。グアム島まで行きましたし、航海の思い出もすごくありますから。夏はいろんなところで楽しい時間を過ごした。それがもうできなくなったってことはね……」としばらく唇を噛み、突然船を失った悔しさを滲ませた。
設計も自ら行い、日本の造船所で一から「光進丸」を作ったという加山は「何もかも私の分身みたいな存在だっただけに、船のすべて、隅々まで知り尽くしているわけです。だから『なぜ』って気持ちでいっぱい」と説明。
今後の修復も「まず不可能だと思います」と発言し、「まだ(自分は)生きていますのでね。海への愛と、感謝の心と希望は持っています。つらいことが起きるのが人生だと思うんですけど、これほどつらいのは滅多に起きないんじゃないかな」と目を潤ませた。
最後は「こんなことにめげずに前を向いて頑張っていきたいと思います。夢は捨てていません。一歩一歩また地に足をつけて歩いていこうと思っています」と、加山らしく前向きな言葉で結んだ。
今回炎上した「光進丸」は3代目だ。初代が建造されたのは1964年のこと。映画『海の若大将』(1965年)に登場し、1978年には『光進丸』のタイトルでシングル曲も発表されている。
加山と「光進丸」の歩みはじつに波乱に満ちている。
1970年には叔父のリゾート会社が倒産。連帯保証人だったため莫大な借金を背負った。2009年7月25日付けの「日本経済新聞」の連載で、加山はこう当時を振り返る。
「税務署に最低限の生活費は認めてもらったが、収入の大半は差し押さえられる。卵かけご飯の卵を妻と半分ずつ分けたりもした。僕はもらった酒を飲んでへべれけになり、庭の立木をなぐり続けた。こぶしが血だらけになっても、まだなぐる。『ばかやろう』。気持ちをどこにぶつけたらいいのか分からなかった」
じつは加山が妻・松本めぐみにプロポーズした場所も「光進丸」だった。それまで何人かの女性を船に招待していたというが、まったく酔わないのは彼女が初めて。
だが、そんな「光進丸」も差し押さえの対象に。思い出の詰まった船を簡単に手放せるわけもなく、加山は思案した。
「船は放っておくとすぐに劣化してしまう。僕は税務署に『メンテナンスをよろしくお願いします』と言った。『そんなことはできない』『売れればかなりの額になるのに、ダメにしたら二束三文になりますよ。お許しいただけるなら、自分で動かしてメンテナンスをします』『仕方がありませんね』。これで赤紙を張られながら、堂々と船に乗れるようになった」
税務署の差し押さえの紙が、他の債権者たちからのお守りになったため、完済するまでの10年間も貼りっぱなしになったという。
2015年、80歳をめどに太陽光と風力発電を使った「自作の船で世界一周したい」と夢を語った加山。火災でいったんは遠のいてしまったが、逆境にも負けずに生きてきた加山なら、きっと実現するはずだ。