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石黒賢が語る偉大すぎる父親は「戦後初のプロテニスプレーヤー」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2018.07.27 20:00 最終更新日:2018.07.27 20:00
俳優の石黒賢が、7月14日放送の『おぎやはぎの愛車遍歴』(BS日テレ)に出演した。
番組では、父・石黒修氏が乗っていた日産ローレルが登場。番組が用意した当時のパンフレットの表紙には父の姿。それを見た石黒は「ははは、親父だあ」と思わず顔がほころぶ。
石黒は「父がコマーシャルをやっていまして、よく友達に『お前のおやじ、ローレル(のCM)やってるよな?』と言われたのを覚えています」と発言。
父親も車好きだったらしく「僕が高校とか大学になって『いまは何がかっこいいんだ?』みたいなことをよく言ってましたね」と振り返った。
石黒の父親・修氏は、日本人として戦後初となるプロテニスプレーヤーだ。1965年の全豪オープン・ダブルスでベスト8入りするなど海外でも活躍した。石黒はそんな父との思い出についてこう語る。
「親父は子供のころ本当に家にいなかった。あんまり普通の家のお父さんにしてもらうことをやってもらった記憶がないんです。キャッチーボールとか遊園地に行ったりとか」
石黒が生まれたころにはすでに現役を退いていたが、講演やテニススクールで日本中を旅する日々だった。テニスを初めて教えてくれたのも父だったそうで、「いろんな大会に出ましたね。『石黒の息子だから』と必要以上にみんな見に来た」という。
ちなみに石黒は17歳で俳優デビューしているが、そのきっかけを作ってくれたのも父だった。
「TBSのプロデューサーが、(父に)『テニスのできる人を探しているのですが誰かいませんか?』と相談して。あるとき親父から台本を渡されて『お前、出てみる気はないか?』と」
2016年に亡くなった修氏。石黒は葬儀に際し「テニス一筋の人。錦織圭選手が活躍するたびに父の名前が報道で出てくるのが誇らしかった。すごい親父だった」と明かしている。
テニス指導に加え、俳優の仕事の道筋を作ってくれた父親には、感謝と尊敬の想いばかりだろう。