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石原裕次郎の遺言は「死んだらすぐに石原プロをたため」だった
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2018.08.02 16:00 最終更新日:2018.08.02 16:00
昭和の大スター・石原裕次郎の妻・まき子さんが7月19日放送の『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系)で、32回忌を迎えた裕次郎の秘話を明かした。
MCの坂上忍が石原邸を訪れて、まき子さんと対談。まき子さんはかつて「北原三枝」の芸名で、スター女優として映画『狂った果実』などで裕次郎と共演している。
1987年に他界した裕次郎だが、その遺言として石原プロは映画製作を託された。公にはこれが遺言とされているが、まき子さんだけが知る裕次郎最期の言葉は「俺が死んだらすぐ石原プロをたためよ」だったという。
裕次郎との約束を守り続けてきたまき子さんだが、この遺言だけは守らなかった。その真相についてこう語る。
「石原プロに勢いがあって、あの方たち(渡哲也ら)のお姿を見ていると、言えなかったんです。みんな必死でしたでしょ? 裕さんを何とか病から戻そうと。その姿を見たら、とても言えませんでした」
裕次郎は、当時、手術の成功率3%だった解離性大動脈瘤を患っていた。裕次郎を敬愛していた渡は「もし石原に何かあったら、自分も一緒に連れて行ってもらいたい。殉じたい気持ち」と豪語するほど心酔していた。
手術は無事に成功するが、裕次郎はさらに肝臓ガンを患って入院。周囲は、裕次郎本人に病名を伏せることを決め、石原プロモーションの大番頭として知られた小林正彦専務がまき子さんに協力を求めた。
ためらう彼女に、小林専務は「あなた女優でしょうが! 強い女を演じてください」と鼓舞。まき子さんは夫の最期に “女優” として人生最後の一芝居を打ち、ガンを隠し通した。
映画『嵐を呼ぶ男』『黒部の太陽』、ドラマ『太陽にほえろ!』『西部警察』など名作を世に送り出した裕次郎。その陰には彼を信奉した仲間と、心から愛した妻との絆があったのだ。