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落合博満が語った「プロ野球入りするまでの紆余曲折」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2018.08.30 16:00 最終更新日:2018.08.30 16:00

落合博満が語った「プロ野球入りするまでの紆余曲折」

中日監督就任時の落合

 

 元中日ドラゴンズ監督の落合博満が、8月20日放送の『中居正広のスポーツ!号外スクープ狙います!』(テレビ朝日系)に出演した。

 

 

 3度の三冠王や、日本のプロ野球選手として初めて年俸が1億円を突破するなど、現役時代に数多くの伝説を残した落合。番組で甲子園での経験を問われ「ない。高校野球もほとんどやってない。16歳から20歳まで野球らしい野球やってない」と回答する。

 

 大学には入学したものの半年で中退。その後「2年間、家で遊んでいた」とし、「仕事しなくちゃいけないということで、臨時工として東芝府中に入った。野球じゃなくて、仕事しなくちゃいけないから。まさかプロ野球の世界に入るなんて思ってなかった」と振り返った。

 

 ここで共演者から学生時代の運動神経について聞かれると「やっぱりずば抜けていたと思うよ」と回答していた。

 

 落合は1月1日付けの朝日新聞のインタビューで自らの野球のルーツについて明かしている。

 

「小学校に入る前だと思う。スポーツではなく、遊びですよ。目の前にある物をどうやって遊びに使うか、頭を使った。バットを買える人なんてそうはいないけど、それなら杭をナタで削ればいい」

 

 中学でも野球部に入っていたという落合。

 

「毎日練習していた。投手で4番。当時、秋田でおれが一番うまかったと思う。故郷・南秋田郡の大会の1回戦で負けたんだけど、地元紙のスポーツ欄に『怪童、1回戦で散る』って大きく書かれた」

 

 その後、高校・大学と、どちらも野球部の体育会系な雰囲気に馴染めず野球から遠ざかる。一時期プロボーラーを目指していたが、プロ試験を受けるために用意していた受験料を、交通違反の罰金に当ててしまったため、断念したらしい。

 

 東芝に入社し、恩師の勧めで社会人野球を通して野球の世界に戻った落合。チームの中心選手として活躍し、24歳のときにロッテからドラフト指名を受けプロ入りした。ちなみにインタビューでは「人生で一番練習したのは社会人の頃かな」と明かしている。

 

「ずば抜けた運動神経」の持ち主なら、練習すれば、遅くてもその才能は開花するのだ。

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