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黒田博樹「B’zにお願いした登場曲『RED』誕生物語」を語る

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2018.09.08 16:00 最終更新日:2018.09.08 16:00

黒田博樹「B’zにお願いした登場曲『RED』誕生物語」を語る

 

 2015年2月、僕としてはダメ元で、松本さんにLINEをしました。『日本に戻ることにしました。もしよろしければ、僕の登場曲をB’zにお願いしたいです』と書いて送ったんです。僕のわがままを言わせてもらって、もし、ダメだったとしてもぜんぜんかまわない。

 

 そもそも、そう簡単にいく話ではないと思っていたけど、数日後、OKのお返事をいただいて。もちろん、すごく嬉しかった。

 

 ただ……。自分でお願いしておきながら、ですけど。曲を書いていただく以上、日本に帰ってそれなりの結果を残さないと、という違った意味でのプレッシャーになったんです。

 

 そこで成績が残せない可能性もあったわけだし、せっかく書いてもらったのに、怪我をして、球場で一度も曲が流れない可能性だってあった。そんなことが起きていたら……。今考えるとゾッとします。

 

 あのとき、一大決心をして、興奮状態にあったんでしょうね。僕はもともと、そういうお願いをするタイプじゃない。日本へ帰る、という覚悟の表われだったのかもしれません。もし、アメリカに残る決断をしていたら、絶対、曲をお願いしていなかったと思います」

 

 黒田のオファーから2カ月足らずの3月中旬、待望の音源がメールで届いた。タイトルはカープのイメージカラー『RED』だった。

 

「広島の自宅で受け取りました。音源の再生ボタンを押すのに緊張しましたね(笑)。いろいろ考えるじゃないですか。松本さんが曲を作って、稲葉さんが歌う。

 

 僕が中学時代から聴いているB’zのお2人が作ってくれた新曲です。とても平常心ではいられなかった。誰もまだ知らない曲を僕だけが聴けるということにも興奮して。

 

 再生すると、すごくカッコよくて、それからは何度も何度も繰り返し聴きました。『正式発表まで音源を外部に漏らしてはいけない』と言われていたので、部屋の中や、球場に向かう車の中で、一人で聴いていました。

 

 とくに好きなフレーズはサビの『楽はしない 偉ぶらない 誰のせいにもしない』。すごく心に響きます。

 

 これまでもマウンドに上がる恐怖心はありましたが、カープに戻ってからは年齢的にも背負うものが増え、これまで以上にマウンドに上がるのが怖かった。20歳のときに背負うものと、キャリアを積んで帰ってきてから背負うものは、大きさも責任もまったく違います。

 

 また、つねに同じ気持ちでマウンドに上がるのは難しいし、人間なので気持ちが乗らないときもある。僕は強い人間じゃないから、最後の試合までずっと怖かった。

 

 そんなとき、『RED』は、その恐怖心を和らげて、闘争心に変えてくれるんです。僕にとってはすごく大きかった。自分の中のパワーとか、足りないものが満たされていく感覚がありました。

 

 現役を引退した後もこの曲を聴くと、当時のマウンド上での気持ちが甦ってきます。もちろん、いいことばかりじゃなかったし、大変なこともたくさんあった。

 

 だけど、現役最後の2年間を最高の野球人生にしてもらった。お2人には心から感謝しています。僕にとっての『RED』は、墓場まで持っていく歌。孫の代まで自慢できますね」

 

くろだひろき
1975年2月10日生まれ 大阪府出身 1996年、ドラフト2位で広島東洋カープに入団。2008年に渡米し、ドジャース、ヤンキースを経て、2015年、ふたたび広島カープへ。2016年、現役引退。日米通算203勝。カープでの背番号「15」は永久欠番

 

(週刊FLASH 2018年8月21・28日合併号)

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