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吉田栄作が語った貧乏時代「ゴレンジャーが5色じゃなかった」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2018.11.07 16:00 最終更新日:2019.10.26 10:27

吉田栄作が語った貧乏時代「ゴレンジャーが5色じゃなかった」

 

 俳優吉田栄作が、11月4日放送の『誰だって波瀾爆笑』(日本テレビ系)に出演した。

 

 父親がドラッグストアと商店を営んでいた関係で、幼いころは裕福に育ったという吉田。番組では「うちの近所に3軒くらいデパートができ始めて、だんだんとお客さんの足はそっちに行き、そこから経営がガッと(落ち込んだ)」と、小学生のころから貧乏生活が始まったと説明する。

 

 

 当然、両親の夫婦仲も悪くなった。吉田は「先生に作文で日常を書きなさいって言われて『うちのお父さんとお母さんはケンカばっかりしています』と。家に帰ったら(母から)『作文に何書いてんのよ!』って言われた」と振り返る。

 

 貧乏だったため、白黒テレビからカラーテレビになかなか買い換えられず、「ゴレンジャーが5色じゃなかった」と訴える。また、家計を節約するため、やかんで沸かしたお湯を、水シャワーで薄めながらお風呂がわりにするなど、不便な生活を強いられたらしい。

 

 その後、高校でモテ始めた吉田。彼女とのデートでサーロインステーキをご馳走になるも、家ではステーキはチキンと決まっていたため、「これはステーキじゃない!」と言い放ってしまうほどだった。

 

 卒業後は、上京してアルバイト生活を送っていた吉田。もともと芸能界に興味があったらしく、「渋谷のカフェでウェイターのバイトをしていて、そこにスタイリストをやっている方が来ていた。(その人が)『俳優志望なんでしょう? これでも出てみたら』と教えてくれたのが、フジテレビのコンテスト(『ナイスガイ』)だった」とデビューのきっかけを語る。

 

 見事、チャンスをものにした吉田はこう続ける。

 

「賞金100万円とニューヨーク旅行がついてたんですけど、当時は4万円の風呂なしアパートに住んでいた。バイト先の友達は、ワンルームだとしてもユニットバスとかシャワーがついてる。やっぱ風呂つきはいいなと思っていた。

 

(優勝賞金で)7万円ぐらいの、ちゃんとフロトイレ別の1DKに引っ越した。100万円でニューヨークより、入浴したかった」

 

 トレンディー俳優として一世を風靡した吉田。サラサラヘアーで超モテモテだった彼にも、隠された苦労があったようだ。

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