サラリーマンの世界に見切りをつけ、趣味の世界を極める。そんな「夢のような生活」を実践している、元フジテレビアナウンサーの牧原俊幸さんを訪ねた。
2018年7月末に、35年間勤務したフジテレビを定年で退職した牧原さん。退職後の初仕事が、浅草演芸ホールでの「マジックショー」だったことが、新聞などでニュースとなった。もちろん出演料ももらっている。
「トリを務めた落語家の桂竹丸さんが、大学時代からの知り合いで、『出ないか』と声をかけてくださったんです。以前から、結婚式の司会や会社のパーティなどでマジックをやっていましたから、緊張はしませんでしたね。
むしろ、寄席という環境はすごくやりやすかったです。パーティ会場では、ちゃんと見てくれない人もいるんですが、寄席ではお客さんにすごく集中して見ていただいて、気持ちよかったですねえ」
牧原さんは、マジックや落語など、小さいころから演芸に興味があった。
「普通は、小さいころの興味なんて続かない、という人が多いんですけど、私の場合はそれがずっと続いて。高校時代は落語研究会、早稲田大学に入ってからは寄席演芸研究会に入りました。そのなかで、だんだんマジックにハマっていったんです」
マジックの師匠は、同じ北海道出身で高校生のころから憧れていた北見マキ氏。大学時代に初めてレクチャーを受け、アナウンサーになってからも、3年前に氏が他界するまで、教えを請うてきた。
「プロのマジシャンの道に進もうと思ったことは、ありません。自分のレベルがわかっていましたから(笑)」
フジテレビのアナウンサーとして親しまれてきた牧原さんだが、サラリーマンである以上、避けて通れないのが定年だ。実際にその日を前にして、悩んだという。
「5年間は雇用延長で会社にいられる、という選択肢はあったんです。でも、今後も週5日は会社に通って、毎日、仕事があるわけじゃない……。
8時間座っているだけで、ある程度の収入をいただける。それはありがたいんですが、自分の中では物足りないような気もしていました」
その結果、牧原さんはフリーアナウンサーの道を選んだ。フリーになったことで、マジシャンとして寄席にも立つことができたのだ。
「今回、寄席に出させていただいて、年齢の積み重ねによる “味” みたいなものが出せるようになったかな、と。
定年後、やることがないという方も多いようですが、私の場合は、マジックがあります。新しいネタを勉強したり、見たこともないマジックのレクチャーを受けると、刺激になるというか、興奮するんですよ。その気持ちは子供のころからまったく変わらないです」
家の自室はマジックの道具であふれているという。
「衣装ケースで10箱ぐらい積んでいます。妻に『地震が来たらどうするの? 少し減らして』と言われていますけど、自分の部屋だから、まあいいかなと(笑)」
退職後、ステージに立ったのはまだ2回だが「お呼びがかかれば、どこでも行きます」と、マジックにかける情熱は本物。定年が、自由な時間を運んでくれた。
(週刊FLASH 2018年11月20日号)