2018年12月9日の『マルコポロリ!』(関西テレビ)で、DA PUMPが『U.S.A』ヒットの道のりを語った。
「1曲でここまで忙しくなったので、『U.S.A』って魔法の1曲だなと思いました」とメンバーDAICHIが語る。いったい怒涛の1年はどうだったのか。
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「なんか急に現場の人数が増えたりとか、4人(で人気)の頃、一回見させていただいた景色。あれ? これどっかで見たことあるなと」(ISSA)
2018年5月に『U.S.A』が出てから、1週間でミュージックビデオの再生回数が100万回を突破し、10月27日には1億回を突破した。まさに怒涛の勢いで人気に火がついた。
グループ名がDA PUMPになったのは1997年6月。1998年、紅白歌合戦に初出場し、2002年まで5年連続出場した。だが、ISSA以外のメンバーが次々に脱退。2009年に9人体制で「新生DA PUMP」となった。しかし、2018年まで、なかなかヒットに恵まれない。
「次の日から街歩けなくなるのかなーと思ってたんすよ」
メンバーのDAICHIは、DA PUMPに憧れて入ったものの、新曲が出てもいっこうに売れず、結局、曲が出せない状況が続いたと語る。まったく仕事がない状態が1
~2カ月続き、今年はじめには脱退を考えていた。
現在、38歳のYORIも「1年間活動が止まったときにやめようと思ったんですよ」と明かす。ダンサーとして肉体的にピークを迎え、同世代が海外で活躍している姿を見て、強い危機感を覚えたという。メンバーでダンスの世界大会に出てDA PUMPの知名度を上げようとするも入賞できず、焦りは募るばかり。
しかし、ISSAは違っていた。
「若いうちに腹をくくっているんで、これをやるしかないって、自分は早いうちに決断してるので。今は『待て』のときなんだと」
個々のレベルを上げつつ、陽の目を見るときがいつか来ると信じ、メンバーと腹を割った話し合いをしながら時を待った。
ある日、ショッピングモールで無料公演を行うことに。すると喝采を浴び、「逆にこれが楽しすぎて! なにこれって!」という状況になった。
一度売れてしまえば、ショッピングモールでは歌いたくないのが人情だが、ISSAは違った。全国14カ所のショッピングモールで無料ライブを開催し、徐々に評判を得ていったのだ。
「感謝ですから!」と明かしたISSA。『U.S.A』のダサい格好やひと昔前のユーロビートの曲調もすべて受け入れた結果、大きなブレイクにつながった。今年の目標は謙虚と感謝だというDA PUMPの活躍は、まだまだ続くはずだ。