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林家木久扇、森永乳業を退社して漫画家になった過去
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2018.12.15 20:00 最終更新日:2018.12.15 20:00
林家木久扇が、12月12日放送の『バゲット』(日本テレビ系)で、落語家になるまでの意外なエピソードを明かした。
第2次世界大戦中、明日をも知れない生活を送った木久扇は、「食べ物に苦労したくない」と18歳で森永乳業に入社。「乳酸菌のことにはすごい詳しい」と豪語していた。
だが、わずか4カ月で退社し、漫画家の清水崑に弟子入りして、2年後にプロとしてデビュー。当時、『週刊漫画サンデー』に『とりもの太平記』を連載。当時のギャラをぶっちゃけ、「けっこう稼げた。落語家で前座は1日250円だけど、漫画は1枚5000円くれますから、いい収入だった」と明かした。
だが、漫画を描きながら、渥美清の声色のマネなどをしていると、清水氏が「演芸のほうがいいんじゃないか」と落語家の師匠を紹介してくれた。ここから、落語家人生が始まったという。
10月9日に放送された『チマタの噺』(テレビ東京系)では、「木久蔵ラーメン」で田中角栄元首相を激怒させた話を告白していた。
1982年、木久扇は横山やすしと「全国ラーメン党」を結成。中国でもラーメン店をやりたいと、日中国交正常化を果たした田中元首相に直談判しに行った。だが「中国に行ったのはラーメンを食べに行ったわけじゃない。帰れ!」と怒られてしまったという。
そこで木久扇は「ラーメン党には党員が1万名おります」と言い出すと、田中元首相の態度が変わり、「党員が1万人いるということは有権者が1万名いるということ。私のことを応援してくれますか?」と返されたとのこと。
こうして、田中元首相の計らいで中国でラーメン店のプロジェクトが進行したが、天安門事件が起こり、頓挫してしまった。最後に木久扇は「落語家だから下げがついた。ラーメンの出前は『てんやもん』でしょ?」とオチをつけていた。
81歳の木久扇は、波乱に満ちた生涯を送って現在の地位を確立させたようだ。