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【ヒット夜明け前】ガリットチュウ福島のモノマネ誕生秘史
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.02.17 11:00 最終更新日:2019.02.17 11:00
昨年、船越英一郎さんやダレノガレ明美さんのモノマネでブレークを果たしたガリットチュウ福島善成さん(41)。
彼のモノマネのレパートリーの中には、まったく似てないモノマネもある。しかし、ちょっとした表情や角度によってはピンポイントで似ているのだ。そこが不思議と笑える。名づけるとしたら「似てないけど、似てるモノマネ」といったところだろうか。
ガリットチュウは、相方の熊谷岳大さん(41)と1998年に結成し、今年21年目となるコンビ。決して若手とは言えない芸歴だ。ヒットまでに20年を要した「似てないけど、似てるモノマネ」は、はたしてどのように誕生したのか? 今回はガリットチュウ福島さんの「ヒット夜明け前」に迫る。
福島さんは、デビュー当時からコントをやりながらモノマネもやっており、基本的にスタイルは今と変わっていないという。
「1年目から手塚治虫先生のモノマネをやって、2年目で米良美一さんとかもやってました」
周りから若いときの手塚治虫先生に似てると言われたことをきっかけにやり始め、ライブなどで披露していた。
彼のモノマネには「哀愁モノマネ」と呼ばれる一般人のモノマネがある。たとえば「中3の兄貴にそっくりな中1の妹」といったような、「そういえば、そんな人いたわ」というモノマネだ。
「ルミネの新喜劇に出演していた際、最初は手塚治虫先生のモノマネをやっていたのですが、僕は飽き性なので、3回公演の3回ともモノマネを変えることにしたんです。
それで『何度注意されても、野良猫にエサをやる人』とかのモノマネができて、その積み重ねです」
こうして一般人モノマネのストックができ、はじめてメディアで披露することになったのは、2012年の元旦に放送された『新春しゃべくり6時間半スペシャル』だった。
「番組スタッフからお願いされたモノマネが自分の中で絶対スベるなと思ったんですよ。それをやったら案の定スベったんです。
いつもだったら『まぁいいや』って帰るんですけど、そのときは『明日やめてもいいや』と思って、番組の予定になかった一般人モノマネを、スタジオの袖で着替えて勝手に出てやったんですよ。
そしたら有田哲平さんが面白がっていじってくれたんで、「私、ファン同士の喧嘩の仲裁にいつも入ってくる巨人の私設応援団です」ってやったらすごいウケて。
それから何個もやりました。だから一般人モノマネは僕の勇気から生まれたんですよ(笑)」
ここから、最近よく見るようになった、福島さんがいきなりスタジオの隅から登場して「すいません、どなたですか?」「私、小さい嘘をいっぱいつく地元のバーのマスターです」などのパターンが誕生したのだ。
福島さんの代表的なモノマネと言えば、やはり船越英一郎さんのモノマネだ。
「僕が20代の頃、雨上がり決死隊の蛍原さんの奥さんが僕のことを裏で『船越』と呼んでいたそうなんです。奥さんが蛍原さんに『今日は船越と遊ぶの?』みたいな(笑)」
しかし、その頃は20代だったのでピンとこなかったという。それから35歳ぐらいになったとき、船越さんに似てると言われていたことを思い出し、インスタグラムに上げてみた。すると、それがいきなりYahoo!ニュースになったのだ。
そこから、貴乃花親方やダレノガレ明美さんのモノマネを次々と生み出し、今のヒットにつながったのだ。
ガリットチュウ福島さんの「ヒット夜明け前」には、蛍原さんの奥さんのネーミングセンスと、引退も覚悟した背水の陣から生まれた自らの勇気が存在した。
※ガリットチュウ福島の単独ライブ「ガリットチュウ福島の哀愁プンプンLIVE」がルミネtheよしもとにて、2月23日(土)19:30開演で開催されます。
取材・文/インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年 世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・お笑い記者