寺島進が、5月28日放送の『幸せ!ボンビーガール』(日本テレビ系)で、貧乏時代を明かした。
江東区深川にある畳店で生まれた寺島だが、時流から畳の売れ行きが悪くなった。そこで学費を稼ぐため、地下鉄・有楽町線の工事のアルバイトで30万円を稼ぎ、三船芸術学院の入学金にしたという。
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殺陣などを学びながら、バーの店員をして学費を稼いだ。殺陣の剣友会で先輩の付き人をしながら、エキストラや「ウェスタン村」でスタントマンとして馬に引きずられるショーに出演。
寺島は「雨の中でもショーをやるから泥だらけでとんでもない」と振り返っていた。
また、戦隊モノのヒーローショーで女性ヒーローのスーツアクターを担当。寺島は「ブラジャーをしていた」と体型にリアリティを出すため、女性物の下着を着ていたことを明かした。
北野武監督作品の常連としてブレイクした寺島。日刊ゲンダイDIGITALで、映画『あの夏、いちばん静かな海。』(1991年10月公開)で役をもらった時期を回想。
寺島は北野監督から「兄ちゃん、今売れてなくてもずっと続けろよ」と声を掛けられたという。
「役者ってのは死ぬまで現役でいられるんだからさ。この先、20年後、30年後に売れて、死ぬ間際に天下取ったら兄ちゃんの人生、勝ちだからよ」
その言葉に励まされ、『踊る大捜査線』シリーズのドラマ『逃亡者 木島丈一郎』(フジテレビ系)に主演するなど、多方面に活躍してきた。2018年11月にオフィス北野を退社し、ジャパン・ミュージックエンターテインメントへ移籍。
2018年8月5日に行われたイベントでは「(北野監督から)『寺島は十分義理を果たしたからな』と言われました。『次回作は、こういう役で用意しているからよ』と土産話もいただいた」と良好な関係が続いていることを明かした。
不遇の時代を糧に、寺島は俳優として大成したのだ。