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堤真一「病室を出て泣き崩れた」死期を悟った父のひと言

エンタメ・アイドル 投稿日:2019.06.18 20:00FLASH編集部

堤真一「病室を出て泣き崩れた」死期を悟った父のひと言

 

 俳優堤真一が『サワコの朝』6月15日放送回に出演し、父親との思い出を明かした。

 

 甲子園球場のある、兵庫県西宮市で育った堤。子供のときから野球をやっていたが、次第に面白くなくなり、高校1年の9月1日に、野球部を退部。ほかに目標もやりたいこともなかった堤は、不登校になってしまう。

 

 

「不良グループに入ったわけではなく、ただ学校に行かずに寝ていました。今でいう引きこもりですね」

 

 ずっと家にいた堤だが、両親に怒られることはなかった。

 

「父は熊本の出身なんですけど、めちゃめちゃ無口な人だった。子供のころ、団地の3階の部屋から会社に行く親父に『いってらっしゃ~い!』って言うと、振り向きもせずに、手をスッと挙げるだけ。

 

 両親は真逆なんですよ。親父は一緒に生活していても、声を聞くことがほとんどないぐらい。お袋はずっと喋っている。『よく結婚したな』と思って(笑)」

 

 そんな堤は、父に反抗的な態度をとることが多かった。高校をやめることを告げたときは、父から理由を問われ、思わず暴言を浴びせてしまった。

 

「『あんたみたいなサラリーマンになりたくないんじゃ。毎日同じ時間に出ていくなんてしたくない』と偉そうに言ってしまって。

 

 でもそのときに、無口な親父が『サラリーマンの苦しみがわからないやつは、なにをやっても一緒や』って、ボソッと言ったんですよ。『負けたぁ……』と思いましたね」

 

 それから、また学校に行くようになった堤。高校3年のときには、ほぼ毎日学校に通うまでに。それから数年で、父との別れの日がやってくる。

 

「僕が19歳のとき、父が末期のガンになって。僕は、養成所に1年通っていて、合格して、東京に行かなくてはならなかったんです。うちの親父は最初、『余命1カ月』と言われていたんですが、その時点で9~10カ月くらい生きていたんですよ。でも、父と僕は、ちゃんと話ができない関係でした」

 

 堤は、東京に行く前日、父の病室を訪れた。

 

「親父を笑わそうといろんな話をしているんですけど、ブスーっとして聞いているだけなんですよ。そしたら、『お前、車か。コインパーキングに止めてんのか? あれは1時間しかダメだから、早く行きなさい』と。まだ面会に来て10分くらいなんですよ。

 

 でも、話すこともないし、『僕はもう行きます。東京に行きますんで』と言って部屋を出た。僕も親父も、お互いに敬語でしたね。親父は、くだけたものの言い方ができない、冗談も言えないタイプで」

 

 堤が病室を出る間際、自分の死を悟っていた父が、息子に別れの言葉を投げかけた。

 

「『元気でな』って言われたんですよ。もう振り返れなくて、だからその顔も見てない。で、廊下に出て、友達も待ってくれていたんだけど、僕はもう泣き崩れちゃって。『もう会えない』と思ったから」

 

 堤の心の奥底には、父への愛が大事にしまわれていた。30~40代の、役者として一番苦しかった時期に、「親父ってなんだったんだろう」と反発した過去を回顧したという。

 

「『どこが嫌いだったんだろう……あれ、なかったぞ。俺大好きだったな、子供のときから』と思って。小学2年生のときに、親父に栄転の話があったんですけど、僕が『友達変わるのイヤだ』と言ったら、断ってくれていたんですよね。

 

 でも、じつは僕の中ではちょっと『転校もいいかな』って思ってて、クラスで『俺、引っ越しするかも』と言っていい気になっていたので、『行けへんのかいや、言うてしまったがな』っていう(笑)。その辞退のせいか、けっきょく親父は55歳まで、万年平社員でした」

 

 いまは、前向きな父への思いを、はっきり自覚できるようになった。いまでは堤も父親となった。子供たちと一緒に入浴すれば、かつて父が自分に見せてくれていた、手の水鉄砲を披露しているという。その水しぶきはきっと、天国にも届いているに違いない。

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