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高嶋ちさ子、亡き母を語る「レッスンの帰り道はダメ出しの嵐」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.08.18 11:00 最終更新日:2019.08.18 11:00
タレントの高嶋ちさ子が、8月15日放送の『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系)に出演し、2017年に他界した母・薫子さんについて語った。
音楽プロデューサーの父親と、ピアニストの間に生まれた高嶋。まず4歳でピアノを始めたが、「(母親から)『あなたには才能がない』って2カ月でやめさせられた」と発言する。
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幼稚園では、ほかの園児がバイオリンを弾く姿に憧れて母親にせがむも、「ピアノができないからバイオリンも無理だ」と却下。しかし高嶋は、「1年間『やりたい』って言い続けて粘った結果、(小学生)1年生になったときにバイオリンを買ってくれた」と明かす。ちなみにバイオリンは小さいサイズで3万円ほどだった。
いざレッスンが始まると、母親は毎回立ち会って修正点をメモし、帰り道にはダメ出しの嵐。高嶋がそれに耐え続けると、「(小学校)5年生のときに母がへそくりで180万円のバイオリンを買ってくれた」という。
厳しく育てていたのは、ダウン症である高嶋の姉・未知子さんの存在が関係していたらしい。
高嶋が物心ついたころから、母親は「将来、両親が亡くなった後にみっちゃんの面倒を見る人を産んだ。みっちゃんのお世話役。みっちゃんがいなかったら産んでないから」と高嶋や兄に説明していたという。
母はよく高嶋に「あなたと(兄の)太郎が面倒みないといけないんだから、ちゃんと自立して将来稼げるようにしときなさい」と言い聞かせてきたそうだ。
桐朋学園大学を卒業し、アメリカのイェール大学に留学した高嶋。異国の地で心細かった彼女にとって母の存在は救いになったようで、「毎日手紙がきましたね。いま思えば私のことを溺愛してたんですよね。《今日はこんなことがあった》《太郎がバカだ》《お父さんはこうだ》って、全部私を笑わせようと書いて送ってきた」と振り返る。
帰国後、26歳のときにCDデビューし、その後テレビの世界に飛び込んだ高嶋。コンサートやタレント活動が軌道に乗った2015年には、薫子さんが「間質性肺炎」という難病に。
高嶋は「病気がわかった最初は『2カ月以内に死ぬ』と言われたぐらい、悪性だった。母がいないと生きていけないから、そのときは一緒に死のうと思った」と振り返る。
なんとか2年間生き延び、2017年8月29日に亡くなった薫子さん。病に倒れても母親の物言いは変わらなかったらしく、高嶋はこう明かす。
「『寝たきりでもなんでもいいからずっと生きていてほしい』と言ったら、(母は)『あんた、勝手なこと言うのやめなさい。こっちの身にもなってみなさいよ、ベッドに座っているだけじゃ、ケアマネージャーの家族構成を聞かされるくらいしかないのよ。それぐらいつまらないのよ、私は。だから、そろそろいいでしょう』って」
話し相手になるべく、コンサートの合間をぬって頻繁に母のもとへ通ったという高嶋。番組では「『世の中にはどうしようもないことがあるんだな』と心の準備もできた。みんなやるだけのことはやったからお葬式も明るかった」と話していた。
高嶋にとって、母との思い出が、日々の大きな支えとなったのだ。