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ギターのJohnnyが明かす「横浜銀蝿」37年ぶり再結成の舞台裏

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.09.15 12:45 最終更新日:2019.09.15 12:45

ギターのJohnnyが明かす「横浜銀蝿」37年ぶり再結成の舞台裏

左からTAKU、嵐、翔、Johnny

 

 かつて日本中に「ツッパリブーム」を巻き起こしたロックンロールバンド「横浜銀蝿」が、37年ぶりにオリジナルメンバーでの完全復活を宣言! 1980年代、リーゼントにサングラス、革ジャンに白いドカン(ズボン)姿で、日本中を席巻したヤンキーたちが帰ってくる−−。

 

 1979年、横浜の暴走族だったメンバー(翔、Johnny、TAKU、嵐)が、ロックンロールバンド「ザ・クレイジーライダー横浜銀蝿ローリングスペシャル」を結成。1980年9月、シングル『横須賀Baby』でデビューし、2枚めのシングル『ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)』は、オリコン2位を獲得する大ヒットとなった。

 

 

 彼らの弟分、妹分である「銀蝿一家」の筆頭・嶋大輔がシングル『男の勲章』でブレイクし、「紅麗威甦(読み方は「グリース」。俳優の杉本哲太が在籍)」、岩井小百合などもヒットを連発。歌番組だけでなく、ドラマやバラエティなどにも積極的に出演し、「ツッパリブーム」は社会現象になった。

 

 その影響力は大きく、横浜市長選挙のポスターに登場し、中曽根康弘首相(当時)主催の、「芸術文化に活躍された人々との懇談の集い」にまで招待された。

 

 そして、バンドの目標「シングル1位、アルバム1位、武道館満タン」を達成し、1983年12月31日、横浜銀蝿は完全燃焼し、解散。活動期間は、わずか3年3カ月だった。

 

 その後も断続的に活動していた横浜銀蝿だが、1人だけ参加しなかったメンバーがいた。圧倒的な人気を誇っていたJohnny(61)だ。

 

 彼はバンド解散後、ソロ活動を経てキングレコードに入社。現在、ベルウッド・レコード代表取締役社長を務めている。なぜ、このタイミングで復帰したのか? Johnnyを直撃した!

 

「解散してからも何度か声をかけてもらったけど、タイミングが合わなかった。あと、表舞台から離れるとき、覚悟を決めてサラリーマンになったから、中途半端な状態での参加はしたくなかった」

 

 2018年8月、横浜銀蝿を担当していたディレクターの水橋春夫氏(元ジャックス)が亡くなり、11月に「偲ぶ会」がおこなわれた。そこでメンバーは、運命的な再会を果たした。

 

「20年ぶりに会った翔くんに、『来年、結成40周年で、一緒にやらない?』と誘われたんだけど、『何年もギターを弾いてないから、無理だよ』って。

 

 でも、亡くなった水橋さんが『やれよ!』って言ってくれているのかもしれない、と思い直して『真剣に練習してみるから、少し時間をくれ』と話をした。

 

 で、今年の3月、メンバーが揃って『ぶっちぎりRock’n Roll』とか、スタジオで音を合わせてみたら、楽しかったし、音を思い出したね。

 

 メンバーも『Johnnyとやりたかった』『これが銀蝿サウンドだな』って言ってくれて。半分お世辞だろうけど、『これが最後のタイミングかな』と思い、もう1度ステージに立とうと決めた。いま、ゴキゲンな新曲も書いているよ」

 

 ファン待望のオリジナルメンバーでの復活は、2020年12月31日までの期間限定だ。Johnnyもライブに向けて、新しくギターを数本購入する気合の入りぶりだ。

 

「現在、ニューアルバムのレコーディング中。3月からは全国のZeppツアーを予定している。年を取っても、カッコいい横浜銀蝿を見てもらいたいから、ぜひ、ライブに足を運んでくれ!」

 

【「横浜銀蝿といえばこれ!」の2曲】
●『横須賀Baby』
 1980年9月21日発売のデビューシングル。1stアルバム『ぶっちぎり』も同日発売された。

 

●『ツッパリ High School Rock’n Roll(登校編)』
 1981年1月12日発売。同曲が大ヒットし、『ザ・ベストテン』(TBS系)などに出演。一躍、全国区に。

 


衣装協力・LIUGOO

 

※結成40周年、横浜銀蝿の最新情報は、公式HP(ginbae40th.com)をチェック!

(週刊FLASH 2019年9月24日号)

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