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カンニング竹山、コンビ名を決めた理由は「相方の見た夢」

エンタメ・アイドル 投稿日:2019.11.04 16:00FLASH編集部

カンニング竹山、コンビ名を決めた理由は「相方の見た夢」

 

 11月1日放送の『A-Studio』(TBS系)にカンニング竹山が出演。過去に組んでいたコンビ「カンニング」の名前を決めた際のエピソードを明かした。

 

 番組冒頭、「竹山を調べてびっくりしたことがいっぱいある、全部わかってる」とMCの笑福亭鶴瓶が話す。

 

 続けて「今の芸人はおとなしい」と前置き、「(竹山は)あっちのサラ金、こっちのサラ金を借りて。いちばん膨れ上がったとき450万くらいになった。親の遺産も使って……」と借金地獄の過去を明かした。

 

 

 そんな金銭問題を抱え、売れない芸人として活動していた竹山。福岡から東京に上京してきた際、偶然小学校からの友人・中島忠幸と再会を果たしたという。

 

 それ以降、2人で風呂なしのアパートで同居が始まり、「常にこいつと一緒。ディスニーランドも行くくらい」と当時を振り返る。

 

 半年後、竹山から「俺、お笑いをやりたい、(一緒に)やらん?」と相談したことでコンビ結成に至った。

 

 ある日、中島がコンビ名は「カンニングでいこう」と提案したが、竹山は乗り気でなかったようで、「なにそのダセェ名前」と返した。
 

 しかし、中島が「市民館みたいなホールで、『次はカンニングです!』と呼ばれたら、ウワーッと歓声が上がる夢を見たから」と話し、名前が決まったのだという。

 

 その約10年後、テレビ出演も増え、学園祭でも大歓声が上がるほどの人気になった。

 

 市民会館での仕事では、「次はカンニングです、どうぞ!」と呼ばれ観客が湧き、中島が壇上で「これや。あのときの夢、これや」と耳打ち。竹山も驚き、「マジか!」と声を上げてしまったと笑顔で話した。

 

 人気が上昇し、順調にテレビにも出るようになった一方で、中島が「急性リンパ性白血病」を発症し、約2年の闘病の末、35歳という若さで亡くなった。

 

 竹山は、12月26~28日にかけて単独ライブ『放送禁止2019』の開催を予定しているが、チケットは即完売したという。亡き相方の思いを背負って努力したからこそ、今の彼がいるのだろう。

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