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『笑点』出演の立川晴の輔「昇進祝いは泣く泣く自腹のうな重」

エンタメ・アイドル 投稿日:2019.11.10 06:00FLASH編集部

『笑点』出演の立川晴の輔「昇進祝いは泣く泣く自腹のうな重」

 

「この看板、僕も掛け替えたことがあるんです」

 

 寄席の老舗・新宿末廣亭。軒先に並ぶ出演者の看板を、彼は笑顔で指さした。梯子に登って、看板を1枚1枚掛け替える役目は、「東京農業大学の落語研究会の学生が担っている」という。彼も、農大落研OBのひとりだ。

 

 

 だが、いまの彼には、末廣亭に容易に足を運べない理由が2つあった。

 

落語家は、客席からほかの噺家さんの芸を見られないんです。先輩の芸を見たいときは、ご挨拶をして、袖から勉強させていただくのが習わしです」

 

 そしてもうひとつ。彼は、落語立川流に属している――。落語家・立川晴の輔、46歳。不動の人気を誇る大ベテラン落語家・立川志の輔(65)の一番弟子で、自身も独演会にテレビ、ラジオと精力的に活躍の幅を広げる、立川流一門の若きホープだ。

 

 この9月には、療養中だった6代目・三遊亭円楽(69)の代演として、『笑点』(日本テレビ系)の大喜利に出演。家元・立川談志さんが番組を降板した1969年以来、立川流として、じつに50年ぶりの大喜利出演を果たし、大きな話題を呼んだ。

 

「あくまで、円楽師匠の代演ですから! まるで、巨人軍にベンチ入りしたような気分でしたね。そうそうたる師匠方と、自分が並ぶなんて。反響も大きくて、『若手大喜利(BS日テレ『笑点 特大号』の1コーナー)』に出たときの、5倍以上はありました」

 

“緊張する暇もない” ほど、出演決定は突然だった。

 

「『若手大喜利』の縁はあったんですが、打診は唐突で、決まったのは3日前。僕が師匠方にかわいがられているから、とかではまったくなく、完全に制作サイドの意向だと思います。『笑点』メンバーは僕にとっては、神様みたいな存在ですから。

 

 大喜利というのは、チームプレーがおもしろさの秘訣。全員が4番打者じゃ勝てない。役割を考えたときに、円楽師匠と僕の『キャラ』というんでしょうか、これがたまたま近かったことが、お声がけいただいた背景にあるのかなと思っています」

 

 出演決定からの3日間、おこなったのは「師匠」への報告だ。

 

「師匠の志の輔に伝えると、『それはすごいことだから、しっかりやってこい』と背中を押してくれました。収録の2日前には、家元・談志の墓前に報告をしに行きましたね」

 

 晴の輔の大師匠にあたる談志さんは、1966年、初代司会者として『笑点』を立ち上げた人物。

 

「収録本番の前、(林家)木久扇師匠が『談志さん、喜んでるね』と声をかけてくださいました。嬉しかったです」

 

 落語界のレジェンド・談志さんの存在は、孫弟子にとっても、いまなお偉大である。

 

「ご存じのとおり、談志は1983年に弟子を引き連れて落語協会を脱退、落語立川流を立ち上げました。おかげで立川流一門は『寄席に出られない』『二ツ目になったら、自分で独演会のお客さんを集めないといけない』など、苦労があります。

 

 ですが、弟子としては脱退のエピソードだけで、枕に使えるんですよ。むしろ当時、もっと揉めてくれれば、もっと話せたのにと(笑)。

 

 たとえば談志は、弟子から上納金を取っていたじゃないですか。一般的な師弟関係とは真逆で、立川流は『お金のない弟子が、お金のある家元・談志にお金を払い、弟子が増えるほど談志が儲かる』という。

 

 こういったエピソードも皆が話すことで、磨かれておもしろくなっていく。僕も立川流の恩恵を、たっぷり受けていますよ」

 

 晴の輔自身が「落語家人生のなかで、もっとも嬉しかった」と語るのも、談志さんとの出来事だ。当時は『志の吉』だった2003年、家元のもとでの二ツ目昇進試験でのこと。

 

「当時、孫弟子はまだ少なくて、『孫弟子の昇進は、各師匠が許可を出せばよい』という風潮ができつつありました。僕も師匠の志の輔に二ツ目昇進の許可をいただき、志の輔が報告すると、家元は『わかった』とおっしゃったそうで、ほっとしていたんです。

 

 しかし10日後、『ちょっと見せてみろ』と、突然 “神” のお言葉が……。結局、僕を含めた孫弟子5人の昇進は、家元が見ることになったんです。ですが、ここからが家元の特別なところというんでしょうか、『何月何日、ここに来い!』と言われることはありません。

 

 落語家の、特に立川流の師弟関係というのは、『血を吐くほど師匠に気を遣え』というものですから、当時の我々『前座』たちは、マネージャーさんに家元のスケジュールを伺い、ご機嫌になるお店、お好きな食べ物をリサーチしました」

 

 そして晴の輔ら、前座たちの自腹で、上野の『伊豆榮梅川亭』に席を用意し、当日を迎えた。

 

「さて、家元がお入りになりますと、第一声は『名前なんかどうでもいい、やれ!』と。

 

 まず5人正座で、『本日はありがとうございます』と、3万5000円のサーロインステーキをお渡ししましたら、そのときだけ、ちょっと家元のお顔がほころびました(笑)。

 

 続いて。『唄え!』『踊れ!』と指示が飛びます。一度は志の輔が認めてくれた昇進ですから、もし家元の試験に落ちて『なんだこの程度か』となったら、うちの師匠の顔に泥を塗ることになります。人生でいちばんの緊張ですよ」

 

 いざ合格発表、最初に談志と目が合って、『お前はいい』と指をさされた晴の輔。結果は2人合格で、3人不合格。

 

「僕はほっとして、全身の力が抜けましたね。その後、家元から、『お前らご苦労、好きなもの食っていい』と言われましたが……。よく考えると自腹なんですよ! 280円の牛丼も高級品だった我々は、泣く泣く1人ずつ、いちばん安いうな重を注文。緊張で味なんかしなかった……。

 

 しかも、家元をお見送りしたあとのお会計が、想像以上に高くて。女将さんに聞いたら、『談志さんがお土産で、うな重3人前お持ち帰りになられましたので』って(笑)」

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