晴の輔の “50年ぶり”『笑点』出演に、立川流を含めた落語界の再編、ひいては「落語協会(以下、協会)」「落語芸術協会(以下、芸協)」「5代目(三遊亭)圓楽一門会」「落語立川流」「上方落語協会」の “大統一” を期待する声も上がっている。
「よく言われます。お客さんからすれば、『なんで同じ落語家なのに、分かれてるの』って感じでしょう。
でも落語界って、プロレス団体みたいなものなんですよね。仮にたとえるなら……。
“『協会』が王道の全日本プロレスで、『芸協』が新日本プロレス。全日本から新団体・ノアつまり『立川流』が出てきて、すごい勢いが! しかし三沢光晴というトップ、カリスマが他界……。その後、新日本が巻き返す!”
といったところでしょうか。立川流は、『協会や芸協の人たちと、いっさい一緒に出ない』とかいうことは全然なくて、仲はいいんです。むしろ団体が複数あるほうが、切磋琢磨できる面があると思います」
実際に新宿末廣亭では、共演の試みもおこなわれている。
「末廣亭を芸協が仕切る際、ゲスト枠を設けていただいているんですよ。立川流や円楽一門、上方から1名ずつという形で。
やはり寄席には、『寄席の神様』がいます。神様のもとで空気を吸っていると、自然と落語家らしい匂いが身につく、ある意味羨ましいです。
一方、うちの師匠の志の輔は、『寄席に入らずに落語家になれるのか』という、落語立川流のいわば “実験第1号” 。家元が65歳を過ぎたあたりから、師匠の志の輔のことを『立川流の最高傑作』とおっしゃっていました。僕はその弟子ですし、協会や芸協に移籍するという発想自体がないといいますか……。
芸協に移られた立川談幸師匠(2014年に立川流を退会し、2015年初頭に芸協に入会)は、もともと寄席育ちなんですよ。寄席を知らない立川流の若手に、その素晴らしさを伝えてくださった方。いまは寄席に戻って、さらに輝いているという噂が! 『立川流から移籍した』というより、『寄席にお帰りになった』んです。
そういう意味で、寄席は芸人のふるさとなんだろうなと。僕にとってのふるさとは独演会ですけど、寄席というものに対する憧れや敬意は、ハッキリあります」
カリスマ・談志さんが亡くなって8年。落語界統一というより、『立川流自体も一枚岩ではない』と、晴の輔は言う。
「もともと立川流は、家元の “独裁政権国家” で、いまはその独裁者がいなくなっちゃった状態。同じ国のように見えて、志の輔一門の釜の飯、談春一門の釜の飯、志らく一門の釜の飯……が思った以上に違うんです。
それらを抱える立川流が、この先どうなっていくのかはわかりません。そもそも談志の教えが、『てめぇ(自分)で生きろ』ですから。
個人的には、“法律” はそれぞれの一門に委ねていいとも思うんですが、『立川流がひとつにまとまる “憲法” みたいなものは、いずれあったほうがいいのかなあ』とは感じますね」
学生時代から寄席に通い、憧れを抱いていた晴の輔。にもかかわらず、なぜあえて立川流の “茨の道” を選んだのか。理由は明快だ。
「うちの師匠の落語を聴いているときは、完全にその世界に連れていかれるんです。完全に非日常!
初めて聴いた師匠の落語は、すでに知っていた噺でした。それが、師匠が話しているのを聴いたとき、登場人物が立体で見えた。で、2度めに行った独演会で、弟子入りを決意しました。大学1年のときです。
その後4年間、師匠の落語を聴きに通いつづけて、それでも気持ちが変わらなかったので、確信を持って弟子入り志願しましたね。『座布団1枚、たったひとりの言葉だけで、こんなに没頭し、感動させてくれるなんて、すげー』って」
そんな彼が、座布団1枚で披露する独演会は、今年17年めを迎えている。
たてかわはれのすけ
1972年11月21日生まれ 神戸市出身 1997年、立川志の輔に一番弟子として入門、「志の吉」を拝名する。2003年、二ツ目に昇進。2013年、真打昇進の際に「立川晴の輔」に改名。出演中の番組に『笑点特大号(若手大喜利)』(BS日テレ)、『キンシオ』(テレビ神奈川)、ラジオ『週刊なるほど!ニッポン』(ニッポン放送)。今後の独演会は、東京・八重洲で12月18日(水)・12月19日(木)、横浜・天王町で12月28日(土)など。最新情報は、公式HP、ツイッター(@t_harenosuke)にて
(週刊FLASH 2019年11月19日号)